ラッキー・ブレイク
Lucky Break


2001年/イギリス/カラー/108分/シネスコ/ドルビーSRD
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(初出:『ラッキー・ブレイク』プレス、若干の加筆)

 

 

悲惨な世の中でも、仲間と愛は大切にすべし!

 

 日本では缶コーヒーのCMにまで出てくるほど構造改革という言葉が一般化している。但し言葉は流布しているものの、改革そのものはいっこうに進まないが。

 イギリスでは80年代に、サッチャー政権のもとで構造改革が断行された。サッチャー政権はアメリカ型の市場主義を大胆に導入し、80年代以降、イギリス社会はアメリカ化したといわれる。その結果、経済状況は好転したが、社会がアメリカ化するというのは決してよいことばかりではない。

 イギリス人の学者ジョン・グレイは「グローバリズムという妄想」という著書のなかで、アメリカ化が社会にいかなる悪影響を及ぼしているのかを細かく指摘している。まず伝統的な地域社会の結びつきや家族の絆が崩壊した。91年までに2組の結婚につき1組は離婚となり、この離婚率はEU諸国では最高で、これと並ぶのはアメリカだけだという。そこでグレイは問う、「アメリカ式の規制撤廃を労働市場に強制したEU加盟国はイギリス以外になかったということは偶然だろうか?」。


◆スタッフ◆

監督
ピーター・カッタネオ
Peter Cattaneo
脚本 ローナン・ベネット
Ronan Bennett
撮影 アルウィン・カックラー
Alwin Kuchler
編集 デイヴィッド・ギャンブル
David Gamble
音楽 アン・ダドリー
Anne Dudley

◆キャスト◆

ジミー
ジェームズ・ネズビット
James Nesbitt
アナベル オリヴィア・ウィリアムス
Olivia Williams
ルディ レニー・ジェイムズ
Lennie James
クリフ ティモシー・スポール
Timothy Spal
グラハム クリストファー・プラマー
Christopher Plummer

(配給:アミューズピクチャーズ)


 それから、下層階級や失業者が増大した。今日のイギリスでは(ちなみに本書が発表されたのは98年である)、年金生活者を除く5世帯に1世帯は誰も働いていないという。そこでグレイはつづける、「これは、他のヨーロッパ諸国では見られない規模の社会排斥を意味する。しかしアメリカでは長いことおなじみのことである」。

 ここまでお読みになった方は、カッタネオ監督の前作『フル・モンティ』がいくら社会とかかわりを持つ作品だったとはいえ、刑務所を舞台にしたとても愉快なこの新作『ラッキー・ブレイク』について、なぜ冒頭からこんなことをくどくどと書いているのかと思われるかもしれない。

 しかしグレイは、それを前提としてこういうことも指摘しているのだ。「刑罰政策においてすら、イギリスとアメリカとの間には際立った関連がある。イギリスの刑務所収容率はほかのどのEU諸国よりも高く(それでもアメリカよりはまだかなり低いが)、急速に上昇している。1992年から95年までの間にイギリスの刑務所人口は約3分の1増え5万人以上になった」。

 要するにサッチャーの改革によって、もしかすると刑務所と無縁の人生を送ったかもしれない人間が、それだけ刑務所のお世話になっているということであり、また改革は80年代だけでなく90年代にも多大な影響を及ぼしているということである。

 『ラッキー・ブレイク』でまず痛快だったのは、独房に放り込まれたジミーの前で、刑務所の所長が彼の犯罪歴を読み上げる場面だ。82年に車泥棒で保護観察処分、84年にホットドッグ屋を襲って6ヶ月の刑、88年には馬券売場、91年には宝石店に押し入る。そして最後に、映画の冒頭で描かれるように、大人になってからのさえない日々に終止符を打つために銀行を襲撃し、12年の実刑で服役することになった。つまりジミーの犯罪は、サッチャーの改革が実行力をともないだす頃から始まり、改革の進展に比例するようにエスカレートしていくのである。もちろん彼の幼なじみで相棒のルディにも同じことがいえる。

 この映画は、改革によって社会からはじき出され、刑務所のお世話になることになった人間の物語なのだ。それはジミーと監房を分かち合うクリフなどにも当てはまる。彼はバンド仲間の指示で仕方なく信号無視をしただけだったが、仲間が車にクスリをたんまり積み込んでいた。『トレインスポッティング』にも描かれるように、アメリカ的な消費社会が広がれば裏でドラッグも流通するようになり、クリフのようにその巻き添えになる人間も出てくるのだ。

 新しいイギリス映画には、改革で人間同士のつながりをズタズタにされた苦い記憶があるため、仲間意識と裏切りに特別なこだわりを持つ傾向があるが、この映画にもそれがよく出ている。その脚本を手がけるローナン・ベネットがアントニア・バードと組んだ97年の『フェイス』は、犯罪と仲間意識と裏切りと待つ女をめぐる渋く切ない映画だったが、ベネットはこの映画で同じモチーフから巧みに異なる味を引き出している。

 銀行襲撃でジミーがルディをおいて逃げたことについて、ドラマは一見それほどこだわってないように見える。しかし最後まで観ると、実は最初から意識していて、きっちりとそれにけりをつけていることがわかる。筆者が素晴らしいと思うのは、なんといっても銀行と刑務所内のチャペルのコントラストだ。銀行でジミーとルディを隔てる防犯用シャッターは、仲間意識を排除する改革以後の冷たい社会を連想させる。使われなくなったチャペルもまた、信じるものなき時代を象徴しているが、結果的にジミーと仲間たちはミュージカルを通して再びそこに生命を吹き込み、チャペルは本来の役割を取り戻す。ジミーはそこでいろいろな意味で悔い改め、ルディに借りを返す。そしてもちろん、チャペルは男と女が愛の誓いをたてる場所となるのである。

《参照/引用文献》
『グローバリズムという妄想』ジョン・グレイ●
石塚雅彦訳(日本経済新聞社、1999年)

(upload:2002/05/08)
 
 
《関連リンク》
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