ブランチ・リッキーとロビンソンが最初に対面したときの有名なやりとりがある。それは、『ジャッキー・ロビンソン物語』にも『42〜世界を変えた男〜』にも描かれている。正確な台詞を思い出せないので、リチャード・スコットの『ジャッキー・ロビンソン物語』から引用する。
ロビンソンは最後に聞いた。
「リッキー会長、会長は売られたけんかを買うのを恐れるような野球選手が欲しいのですか?」
「私は売られたけんかを買おうとしないだけの勇気をもった選手が欲しいんだよ」
ロビンソンがリッキーのそんな要求をどのような思いで受け入れ、グラウンドでどのような思いでプレイをしていたのかは、それ以前の彼の体験がある程度、明確にされなければわからないだろう。
スコットの『ジャッキー・ロビンソン物語』には、この軍隊時代の様々なエピソードが取り上げられているが、そのなかの三つを引用しておきたい。かなり長い引用になってしまうが、映画を観るうえで非常に参考になると思う。
一つ目のエピソードは入隊から間もない時期のものだ。
大学を出て一年後の一九四二年、ロビンソンは陸軍に招集され、カンザス州ライリー駐屯地に送られた。基礎訓練を終えた彼は、士官候補生を特別に訓練する士官学校への入学を志願した。ロビンソンと他の数人の黒人の軍人たちは大学教育を受けており、また必要な試験にもすべて合格しているので入学資格があるように思われたのだが、かれらは黒人だったため、入学が許可されなかった。
これは、ロビンソンが陸軍で直面することになるいくつかの人種差別待遇の最初のものだった。彼はそのまま引き下がるような男ではなかった。当時、黒人のプロボクサーで、世界ヘヴィー級チャンピオンであったジョー・ルイスがライリー駐屯地に配属されていて、ロビンソンは彼にこの問題を訴えたのである。ルイスは自分の影響力を行使し、ロビンソンと他の黒人たちが士官学校に入学できるよう便宜をはかってくれた。そして一九四三年一月、ロビンソンは少尉になった。
二つ目のエピソードは、ロビンソンが陸軍を除隊になる4ヶ月ほど前のものだ。
一九四四年のある夕べのこと、ロビンソンはバスに乗り、同僚の士官の奥さんと話をしながら基地に帰るところだった。彼女は白人だった。運転手はバスを止め、ロビンソンに黒人が座ることになっている後部座席に行くようにと言った。しかしロビンソンはこの命令を無視した。彼は、ジョー・ルイスともう一人の黒人ボクサー、シュガー・レイ・ロビンソンが最近、南部の駐屯地でバスの後部座席に座ることを拒否していたことを知っていたのだ。二人のボクサーのとった行動が波紋を投げかけ、そのため陸軍では、すべての乗り物で人種別の座席指定を禁止していたのである。(中略)
バスが目的地に着くと、運転手は憲兵を呼び出してこの事件をかれらに任せた。ロビンソンは素直に従った。憲兵隊長に話をすれば、すべてはすみやかに解決されると思っていたのである。しかし驚いたことに、ロビンソンは運転手の命令に従わなかったという理由で、ただちに軍法会議にかけられたのである。
ロビンソンは自分の権利を行使しただけだったので、無罪となった。しかし、彼は問題児のレッテルを貼られてしまい、海外駐屯地に赴任することは許されなかった。
『42〜世界を変えた男〜』では、ブランチ・リッキーと対面する以前のロビンソンがどんな人物であったかが、たった一つのエピソードで示される。
ロビンソンが所属するニグロリーグのチームのメンバーを乗せたバスが、ガソリンスタンドに止まる。ロビンソンがトイレを使おうとすると、給油に取りかかろうとしていた店主がそれを拒む。するとロビンソンは給油をやめさせ、どこか別のガソリンスタンドに向かう素振りをみせ、店主の方が折れる。そこにちょうどブランチ・リッキーの使者が現れるという展開だ。
これだけのエピソードと、軍隊時代のエピソードを踏まえているのとでは、リッキーとロビンソンが交わす言葉の意味も、グラウンドにおけるロビンソンのプレイの意味も変わってくるはずだ。
軍隊時代のエピソードをまだ二つしか引用していなかったが、もうひとつを最後にしたのは、それが野球に関係しているからだ。
ロビンソンはまた、ライリー駐屯地にいるあいだに野球チームに加わろうとしたことがあったが、このときは露骨に冷たい仕打ちを受けた。のちにドジャーズでロビンソンのチームメートになるピート・ライザーは、ロビンソンがチームに入れてくれと言いにきたときにその場に居合わせていた。彼はこう語っている。
ある日、黒人の少尉がいっしょにプレーしようと野球チームにやってきた。ある士官が、いっしょにやることはできないよと彼に言った。「黒人チームなら君を入れてくれるよ」とその士官は言った。それは冗談だった。黒人チームなど基地にはなかったのだ。その黒人少尉は何も言わなかった。彼は我々が練習するのを見ながらそこにしばらく立っていた。そして彼は背を向けて歩いて行った。そのときは彼が誰だか知らなかったけれど、あれが私が初めてジャッキー・ロビンソンを見たときだったんだ。今でも、彼が独りで歩き去っていく姿が目に浮かぶよ。
もし『42〜世界を変えた男〜』にこのようなエピソードが盛り込まれていたら、私たちはもっと深く心を動かされていたのではないだろうか。 |