1986年という転換点から見たイギリス映画の現状
――デヴィッド・パットナムの移籍とインディーズ系監督の台頭


 
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(初出:『レポマン』劇場用パンフレット)

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■■インディーズ系個性派作家への期待■■

ということで、イギリス映画界の特にメジャー系は、アメリカ映画への対抗意識ゆえに一種の硬直状態にあり、しかもパットナムの流出によって大作もままならぬとあれば、その期待はインディペンデント系の個性派にかけられるわけであり、イギリス映画自体がそうした人材に着目し、個性派作家たちの群雄割拠による活性化を誘発しなければならない。そうした姿勢は、イギリスのテレビ局であるチャンネル4の資本投下や英国映画協会のバックアップによって、地味ながら少しずつ成果を上げているようだ。

 たとえば、イギリス映画界の異端児といわるデレク・ジャーマンの7年越しの大作『カラヴァッジョ』は英国映画協会の資金援助によって完成し、昨年イギリスで公開されている。ジャーマンは、70年代後半に『セバスチャン』『ジュビリー』『テンペスト』といった低予算作品を次々に発表し、本質的には画家に近い感性で、同性愛、中世のオカルト学者からユングに至る錬金術、シェークスピアなどの影響によって光と影に象徴される独特の二元論的な世界を切り拓き、一部にカルト的な支持を集めている作家である。

 彼は、80年代に入ってしばらく作品から遠ざかっていたが、この『カラヴァッジョ』と85年に公開された『エンジェリック・カンヴァセーション』でイギリス映画界に再浮上し、この二本の新作は今年日本でも公開が決定している。ジャーマンは、事あるごとにパットナムに代表される映画を“ハリウッドへの迎合”、あるいは“ドルをかせぐための映画の安売り”として厳しく批判してきたが、そのパットナムがイギリスを去り、ジャーマンが浮上した86年は、これからのイギリス映画の運命を象徴しているように思えてならない。


 

 『カラヴァッジョ』は7年越しということもあって大作となったが、これからのイギリス映画をささえていくのはメジャー、インディ系を問わず、とりあえず大作ではなく、しかも芸術性への逃避を拒否し、イギリスという土壌や作家の個性を色濃く反映し、小粒ながらピリッとしたひねりがきいた作品だと思うし、それを期待してもいる。大作は、そうした作品の充実から自然発生すればよいのだ。

 但し、そうした比較的地味な作品が、海外配給において、話題性だけの大作群の影にかくれてヒットに結びつかない危険性は多分にある。その責任の一部は、海外の観客にもあるし、日本も決して例外とはいえない。実際、昨年だけをとってみても本数はきわめて少ないが、これからのイギリス映画の手応えを十分に感じさせてくれる作品が日本でもちゃんと公開されているのだ。

 たとえば、先にちょっと触れたビル・フォーサイス監督の『ローカル・ヒーロー』。マスコミの話題にすらのぼらず残念なことに短期間で公開を終えた作品だが、誇示的には昨年観た映画の中でベスト3に入る傑作なのであり、何度見ても笑いと涙がこみあげてきてしまう不思議なリズムとユーモア感覚を備えた作品である。

 なお、『ローカル・ヒーロー』に続くフォーサイスの4作目『アイスクリーム・コネクション』(Comfort and Joy)は、劇場未公開ながらビデオで観ることができる。こちらも前作におとらずすばらしい作品である。どちらの作品も、あまり冴えない主人公が、自分とは縁のない小さな地域やコミュニティに闖入し、きわめて三枚目的に人々の絆をとりもっていくといった物語だが、大きな世界の動き(『ローカル・ヒーロー』では平和な田舎町をかすめるように飛び去るジェット戦闘機、『アイスクリーム・コネクション』では、ラジオから流れる世界情勢)の中にあるイギリスの、そのまた小さな社会という構図をフォーサイスが巧みに描いていることに注目したい。

 また、昨年末に公開されたイギリスの新鋭クリス・バーナードのデビュー作『リヴァプールから手紙』も、前半は冴えないメロドラマに見えながら、後半ではソビエトのイメージとしての絶望とリヴァプールの現実としての絶望を見事に対比した秀作である。

■■イギリスに舞い戻った期待の新星A・コックス■■

 さて最後になるが、昨年のイギリス映画界のもうひとつの話題は、アレックス・コックスの『シド&ナンシー』の公開である。イギリスを脱出し、ロスでその映画的な才能に磨きをかけ、『レポマン』のカルト・ヒットを放ち、セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスとナンシー・スパンゲンの実話を映画化した『シド&ナンシー』でイギリス映画界に切り込んできたアレックス・コックスは、大げさな言い方をすれば、パットナムと入れ替わるようにイギリスに舞い戻った期待の新星ということになるだろう。

 海外では『シド&ナンシー』を、ドラッグにおぼれていくふたりの姿を徹底的なリアリズムで描いた作品として高く評価しているようだが、筆者はちょっと違うように思った。コックスはどんなに悲惨な物語でも、そのリアリティの向こう側にファンタジックな異次元空間を切り拓くことのできる稀有な存在なのだ。なにかを思い切り投げつけても壁にぶつかることもなく消え去ってしまうような虚無感に包まれた若者が、『レポマン』ではレポマンという集団の中に、『シド&ナンシー』ではドラッグの中に自己の存在を見出し、そして夢幻のような空間にちょっと切ない余韻を残して消えていく。

 コックスはこの作品で国際的に通用する力量を十分に見せつけてくれたが、『シド&ナンシー』以後、いかにイギリスの土壌とかかわっていくのかじっくりと注目したいと思う。


(upload:2014/05/11)
 
 
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