アレックス・コックス・インタビュー
Interview with Alex Cox


2008年
サーチャーズ2.0/Searchers2.0――2007年/アメリカ/カラー/96分/ヴィスタ/VIDEO
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(初出:「キネマ旬報」2009年1月下旬号)
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これは純正のシュールレアリスム映画だ
――『サーチャーズ2.0』(2007)

 インディペンデントで自由な創作にこだわり、独自の道を歩み続けるアレックス・コックス。久しぶりの新作『サーチャーズ2.0』では、復讐≠ェ様々なかたちで掘り下げられていく。偶然出会った主人公のメルとフレッドは、かつて子役として出演した映画の撮影現場で、冷酷な脚本家フロビシャーに虐待された恨みを晴らすためにモニュメント・バレーを目指す。そのモニュメント・バレーで撮影され、この映画のタイトルのもとになったジョン・フォードの『捜索者』もまた復讐の物語だった。さらに、メルとフレッドの復讐は、9・11に対するアメリカの報復とも絡み合っていく。

「復讐についてはいろいろ考えることがある。なぜなら、私の母国イギリスといま暮らしているアメリカが終わりのない復讐戦争をやっているからだ。これは憂慮すべき状況だ。伝統的なドラマには重要な教訓が盛り込まれている。そのひとつが、私的な復讐は許されないということだ。それが変わってしまったのは、チャールズ・ブロンソンのせいだ。私の知る限りでは、彼の『狼よさらば』が、復讐者が正当化された最初の映画だと思う。それ以前の映画では、フォードの『捜索者』のように復讐者は殺されるか、社会集団から去っていかなければならなかった。ところが『狼よさらば』では、私的な復讐をした者が尊重され、再び社会に受け入れられてしまう。もちろん私が批判しているのは、ブロンソン個人ではなく、彼が演じた役のことだ。『狼よさらば』は、その後にアメリカで続々と作られるようになったリベンジ・フィルムの先駆けになっていると思うんだ」

 このコックスの発言は、彼の前作『リベンジャーズ・トラジディ』のことを思い出させる。その原作は17世紀イギリスの劇作家トーマス・ミドルトンの『復讐者の悲劇』であり、映画の冒頭には「人を呪わば穴二つ」の諺が挿入され、復讐に囚われた主人公が自分の墓穴も掘ることになる。

「ミドルトンの『復讐者の悲劇』にも、シェイクスピアの『ハムレット』にも、復讐についての教訓がある。私的な復讐は誤りで、身を滅ぼすことになる。最初はその教訓が私の国だけの文化なのかと思ったけど、そこには普遍的な真理があるはずだ。そこで、物語に最も相応しいメッセージだと思ってその諺を引用したんだ」

 


◆プロフィール◆
アレックス・コックス
1954年12月15日生まれ。イギリス、リヴァプール出身。オックスフォード大学で法律を学び、その後ブリストル大学、UCLAで映画を研究。1983年長編デビュー作『レポマン』を発表。後に「1983年以降のカルト映画名作25」では3位に選ばれている。1985年『シド・アンド・ナンシー』の監督を務めた。この2本の成功で瞬く間に彼は、ハリウッドで”時の人”となる。しかしその後は独自の映画路線を追い求めるようになる。その道は彼をスペインのアルメリアへと導き、修正主義者のカルトムービー『ストレート・トゥ・ヘル』を監督。1987年のレーガン政権時、ニカラグアにてサンディニスタ政府と共に反帝国主義映画『ウォーカー』を制作。ユニバーサル・ピクチャーズ出資であるにもかかわらず、痛烈なアメリカ批判を行った。しかしアレックス・コックスは映画製作を止めず、近年では2002年にリヴァプールを舞台にした『リベンジャーズ・トラジディ』を発表。今後の活動予定としては2009年撮影開始予定、名作『レポマン』の女バージョン、その名も「REPO CHICK」。
(『サーチャーズ2.0』プレスより引用)


 コックスは、そんな伝統的な物語と現代社会を巧みに結びつけていく。舞台を宮廷から近未来のリヴァプールに変えた『リベンジャーズ・トラジディ』には、監視カメラの先進国としてのイギリスが反映されている。

「もちろんたくさんの監視カメラの映像には意味がある。ロンドンには世界のどの都市よりも多くの監視カメラがある。しかしだからといって安全ではない。ロンドンは東京やその他の都市よりも危険だ。そんな状況に国家の性格のようなものが表れていると思って、監視カメラの映像を盛り込んだんだ。一方、アメリカを舞台にした新作には、監視カメラは出てこない。広大でなにもない土地を舞台にしたロード・ムーヴィーになっている」

 そんな新作からは、石油と戦争をめぐるブラック・ユーモアが浮かび上がってくる。メルは車を所有する余裕もないのに、「奴らを倒し、石油を奪え」というステッカーのメッセージに賛同している。メルの娘デライラも加わった旅では、戦死者の遺影や墓地が目につく。それは、戦場で兵士が石油のために命を落とし、主人公たちがやたらとガソリンを食う車で旅していることを示唆している。

「なぜそういう表現にしたかというと、アメリカではイラク戦争について誰とも真剣に語り合うことができないからだ。アメリカとイギリスが石油を求めてイラクに侵攻したことは周知の事実なのに、決して口には出せない。イギリス人はシニカルだから、そのことを平気で口にする。だがアメリカでは許されない。もちろんデモで抗議している人もいるけど、それは少数派であって、一般の人々の間ではいまもタブーなんだ。アメリカ人は安いガソリンが大好きで、それを得るために愚かしい妥協をしている。貧しい人々が不況で苦しんでいても、仕事につけない若者たちが入隊して、イラクやアフガニスタンで殺されていても、安いガソリンのために沈黙している。アメリカでは昨年の初頭にガソリンの価格が急騰したけど、それでもヨーロッパや日本の価格の半額に過ぎない。なのにみんな半狂乱になっていた。戦争で自分の国の若者が命を落としているのに、安いガソリンを確保するために悪魔の取引きをしている。だからイラク戦争について議論することができないんだ」

 この映画に描かれる旅は、メルの視点に立ってみるとある種の夢のようにも思えてくる。日雇いの仕事を探していたメルは、音楽に導かれてフレッドに出会い、旅の終わりでは、フレッドもフロビシャーも彼が思っていたような人間ではないことが明らかになる。

「メルは旅のなかでモラルを試されているんだ。映画の終盤で、フロビシャーが子供たちを虐待した理由を説明すると、フレッドはあっさり納得する。しかしメルの娘のデライラは、映画のためならなにをやっても許されるとは思わない。個人の幸福の方がもっと大切だから。そのときメルもモラルに目覚め、父親と娘の絆が復活するんだ」===> 2ページへ続く

 

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