コックスは、そんな伝統的な物語と現代社会を巧みに結びつけていく。舞台を宮廷から近未来のリヴァプールに変えた『リベンジャーズ・トラジディ』には、監視カメラの先進国としてのイギリスが反映されている。
「もちろんたくさんの監視カメラの映像には意味がある。ロンドンには世界のどの都市よりも多くの監視カメラがある。しかしだからといって安全ではない。ロンドンは東京やその他の都市よりも危険だ。そんな状況に国家の性格のようなものが表れていると思って、監視カメラの映像を盛り込んだんだ。一方、アメリカを舞台にした新作には、監視カメラは出てこない。広大でなにもない土地を舞台にしたロード・ムーヴィーになっている」
そんな新作からは、石油と戦争をめぐるブラック・ユーモアが浮かび上がってくる。メルは車を所有する余裕もないのに、「奴らを倒し、石油を奪え」というステッカーのメッセージに賛同している。メルの娘デライラも加わった旅では、戦死者の遺影や墓地が目につく。それは、戦場で兵士が石油のために命を落とし、主人公たちがやたらとガソリンを食う車で旅していることを示唆している。
「なぜそういう表現にしたかというと、アメリカではイラク戦争について誰とも真剣に語り合うことができないからだ。アメリカとイギリスが石油を求めてイラクに侵攻したことは周知の事実なのに、決して口には出せない。イギリス人はシニカルだから、そのことを平気で口にする。だがアメリカでは許されない。もちろんデモで抗議している人もいるけど、それは少数派であって、一般の人々の間ではいまもタブーなんだ。アメリカ人は安いガソリンが大好きで、それを得るために愚かしい妥協をしている。貧しい人々が不況で苦しんでいても、仕事につけない若者たちが入隊して、イラクやアフガニスタンで殺されていても、安いガソリンのために沈黙している。アメリカでは昨年の初頭にガソリンの価格が急騰したけど、それでもヨーロッパや日本の価格の半額に過ぎない。なのにみんな半狂乱になっていた。戦争で自分の国の若者が命を落としているのに、安いガソリンを確保するために悪魔の取引きをしている。だからイラク戦争について議論することができないんだ」
この映画に描かれる旅は、メルの視点に立ってみるとある種の夢のようにも思えてくる。日雇いの仕事を探していたメルは、音楽に導かれてフレッドに出会い、旅の終わりでは、フレッドもフロビシャーも彼が思っていたような人間ではないことが明らかになる。
「メルは旅のなかでモラルを試されているんだ。映画の終盤で、フロビシャーが子供たちを虐待した理由を説明すると、フレッドはあっさり納得する。しかしメルの娘のデライラは、映画のためならなにをやっても許されるとは思わない。個人の幸福の方がもっと大切だから。そのときメルもモラルに目覚め、父親と娘の絆が復活するんだ」===>
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