そんな親子の関係を印象的なものにしているのが、マリファナとプロザック(抗うつ剤)だ。メルはマリファナに、デライラはプロザックに依存しているが、旅立つときにふたりともそれを忘れてきてしまう。
「それはとても興味深い。素晴らしい解釈だ。無意識のうちにそういうふうに考えていたのかもしれない(笑)。確かにその通りだ。親子はそれらを使って現実逃避していた。私やメルの世代だったら、厳しい現実から逃れるためにマリファナが欲しくなるし、デライラのような若い世代ならプロザックが欠かせない。それらが不要になって、親子が絆を取り戻すというのはよくできた話だ。但し、彼らがロサンゼルスに帰ったら、これまでと同じ生活に逆戻りしてしまうかもしれないけど(笑)」
以前コックスにインタビューしたとき、『エル・パトレイロ』とシュールレアリスムの関係について語り合ったことがあるが、この新作にもそんな繋がりあるように思える。
「たとえば、『レポマン』や『デス&コンパス』の舞台は、マッドでクレイジーではあっても、そういう世界として統一されていた。それに対して、『エル・パトレイロ』とこの新作は、純正のシュールレアリスム映画だといえる。どちらの映画にも夢らしきシークエンスがあるけど、それが夢とは限らない。夢と現実が複雑に入り組んでいて、明確に分けることができないんだ。フレッドは夢らしきシーンで足を罠に挟まれて動けなくなるけど、それに続く現実らしきシーンでもまだ足を引きずっている。それから、夢らしきシーンに現れたゴルフマニアの男が、最後には現実らしきシーンにそのまま現れる。演じる俳優は、そういうシーンが現実か夢かわからなくて困っていたけど、私にも納得のいく説明ができないので、とにかくやってくれと(笑)。私にとっては、リアイティではなく、非合理的で意味が通らないことがとても重要なんだ」
コックスは、ルイス・ブニュエルを題材にした映画を企画するほどシュールレアリスムに傾倒しているが、どんなところに魅力を感じているのだろうか。
「シュールレアリスムは、現実を異なる視点からとらえ、表現する機会を与えてくれる。現実の世界では、車を運転しようとすれば正しい車線を走らなければならない。『アンダルシアの犬』の有名なシーンに描かれていることを実際にやったら犯罪になる。でも映画のなかでは、新たな意味や異なる考え方を引き出すことができる。ブニュエルは偉大なシュールレアリスムの芸術家だったけど、普段はまともな生活をしていた。低予算の映画作家だったところは私と同じだ(笑)」
さらに、コックス作品のもうひとつの特徴も見逃すわけにはいかない。たとえば『レポマン』では、ローンを払えない顧客から車を取り戻すレポマンを通してアメリカの消費社会が、この新作では、復讐を通して政治や石油資本や巨大メディア産業が見えてくる。
「まったくその通りだ。私が描いているのは、突き詰めればレポマンとか警官とかビジネスマンとか俳優という仕事≠ネんだ。私の映画には悪者もほとんど登場しない。新作のフロビシャーも、メルとフレッドの話を聞くと伝説になるような悪者を想像させるけど、実際にはTシャツを売ろうとしているだけの男だ。私は主人公たちを取り巻く環境、彼らがそこに組み込まれ、仕事を通してサバイバルしようとする社会的、経済的な構造をとらえることに興味があるんだ」
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