ブルース・スターリング・インタビュー

1988年 東京
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――アレックス・コックスは。

BS 「レポマン」はすごい映画だと思う。「シド・アンド・ナンシー」は、暗いイメージがあまり好きではない。ぼくは人々に力を与える映画が好きで、無力感を与えるようなものは好きじゃないんだ。 「シド・アンド・ナンシー」には、自分が風変わりな人間だったら最後にはその人間を死に至らしめるようなメッセージがあるように思うんだ。それは反動的な考え方だと思う。社会には、もっと風変わりな人間が必要で、 そういう人間が少なくなることを望んでいるのではないはずだよ。

――「スキズマトリックス」の変容する肉体や、破壊される肉体に対するドライな描写はとてもバロウズ的だと思ったのですが。

BS バロウズ自身が「ローリング・ストーン」のインタビューでそう語っているし、彼も「スキズマトリックス」やその他の短編がとても気に入ったといっている。自分も確かに彼の小説は読んでいる。 彼が、ぼくの作品を気に入ってくれたということは、とても嬉しいことだ。

――バロウズを知ったのはいつ頃ですか。

BS 13か14歳のときだ。

――そのときの印象は。

BS その頃は、これが一種、典型的なSFだと思って読んでいたんだ(笑)。その頃はとにかく、出されたものは何でも食べてしまったからね。

――J・G・バラードはどうですか。

BS 彼はぼくの先生だ。

――作品では。

BS 「結晶世界」、短編も、すべてが気に入っている。特に「結晶世界」は、12歳のときに読んでこれは特別な本だと思った。バラードの功績は、テクノロジーの変化というものを非常に身近なものとして、心理学的な意味を持ったものとして描いていることだ。 バラードは、テクノロジーを物としてではなく、精神の状態として描いている。人々は、テクノロジーを自分とはかけ離れたところにある巨大な機械のように思っているが、実際には、心のなかにあるものなんだ。



 
 
 


――いま実際に、日常に浸透しているテクノロジーは、人間の感性を変容させていると思いますか。

BS それは、いまの世界の状況を見ていれば、自明のことだ。

――「スキズマトリックス」に登場してくる機械主義者や工作主義者は、そうした状況のメタファーと言えますか。

BS それは、確かにいま起こっていることの誇張といえないことはないが、メタファーというのは短絡的であると思う。「スキズマトリックス」を、遊園地のびっくりハウスにあるマジック・ミラーのように見てしまうと、大事なことを見落とすことになる。 「スキズマトリックス」には、現在だけでなく、これからのことが描かれているというところに大きな意味があるので、そこを見落としてはいけない。これは、もちろん現在に対する鏡でもあるが、これから起こることへの警告でもあるんだ。

――サイバーパンクでは、人間と機械の共生関係がひとつの重要なテーマですが、あなたは主に肉体の変容やポスト・ヒューマンへとアプローチし、ギブスンはどちらかといえば、コンピュータが切り開く領域にアプローチしているようにも思えるのですが。

BS 必ずしも、そうした方向性を持っているわけではなく、むしろ常に自分たちの方向性を限定しないように心がけている。ちなみに、ぼくが今度書いた小説は、コンピュータの話だ。気づいたことがあれば、何でも攻撃目標としていくのがぼくたちのやり方だ。 ギブスンもそれは同じで、肉体に機械を埋め込んだキャラクターがたくさん登場している。肉体と機械が入り混じってしまうことは、最新のテクノロジーとして実際に行われていることを見ていればよくわかることだ。 テクノロジーは遠くにあるものではなく、皮膚の下に潜り込んでいるものなんだ。

――アメリカの純文学には、関心がありますか。

BS ジョン・ガードナー、ジョン・アップダイク、レイモンド・カーヴァー以降のダーティー・リアリズムの作家たちには、同じ80年代の担い手として、関心は持っている。彼らを兄弟だとは思わないが、従兄弟のような関係にあることはよくわかる。

――日本では、カーヴァー以降の作家について、新しい保守主義といった表現で扱われることがあるのですが、それについてどう思いますか。

BS うーん、正直なところ、カーヴァー以後の作家の作品をそれほど読んでいるわけではないのだけど、カーヴァーに関していえば、読んでいて気が滅入るように感じたことがある。それは現状をそのまま受け入れて、自分たちが無力であることを描いているからだ。 彼らが現状を受け入れているということは、それを良いと思ってそうしているわけではないと思うのだが、仕方がないことだといって諦めているという点がぼくには不満だ。彼らが、現状を変えることができないと思っているとしたら、権力の構造といったものに関して、 理解が足りないからだと思う。なぜかといえば、彼らは文学の世界に閉じこもって、世界を動かしているテクノロジーの原理をわかっていないからだ。彼らは、目に見えない悪魔に侵略されているといったような気持ちを持っているのではないだろうか。彼らは、 どっちに向かっていいかわからないから、内面へと向かってしまうんだ。

――あなたは、60年代のカウンター・カルチャーをどのように位置づけていますか。

BS 多くの人々が、回想によって60年代を過大に評価しているのではないかと思う。現代社会や評論において、60年代のカウンター・カルチャーというのは、非常に大きく誤解されているのではないかということだ。自然に帰れとか、コミューンとか、 ドロップ・アウトしろといったことは、人々を無力にする作用しか持たなかったんじゃないかと思う。当時のマリファナは、使われるべきものとして、不適当であったと思う。あれは人を夢見心地にして、愚かにするだけだった。でも、LSDは違った力を持っている。 コントロールすることが非常に難しいということは、そこに力が秘められているということかもしれないということだ。もちろん、普通の人はただ人格を破壊されてしまうだけだけどね。

――ウーマンリブは、何らかの影響をもたらしていますか。

BS フェミニズムの考え方は、とても好きだ。個人的なことは政治的なことだという主張は、深い意味を持っていると思う。バース・コントロールというテクノロジーの発達が、女性たちを、子育てや家事から解放した。 これはテクノロジーなしには成し得なかったことだ。そして、そこから政治的な革命が起こったことは、必然であったと思う。

――最後に素朴な質問ですが…男の場合、ピアスは左耳が多いと思うのですが、あなたの右耳のピアスには何か意味がありますか。

BS いや、大した意味ではなくて、右の耳にたまたまちょっと傷があったので、わざわざ両方の耳に傷をつける必要もないと思って右にしたんだ。このピアスは、レーガンが再選されたときににしたもので、 政治的な怒りを何らかのかたちで外に表したいと思い、それでピアスをしたんだ。それから、今度ブッシュが勝つようなことがあったら、ぼくは髪をオレンジ色に染めるしかないと思っているよ。

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