この小説では、病に冒されていく主人公の視点を中心に物語が展開し、その内面がリアルに描き出されていく。著者のリサ・ジェノヴァは、ハーバード大学で神経科学の博士号を取得した神経科学者で、米国アルツハイマー協会のコラムニストでもあり、本書は、認知症患者たちとの対話から生まれたという。
物語は2003年9月からひと月ごとに区切られ、症状が進行していく様子が描き出される。研究者であるアリスは、最初はその症状を冷静に分析しようと心がける。しかし、その年のクリスマスにプディングのレシピが思い出せなくなったときには、苛立ちと怒りを爆発させる。
「アリスは卵のことをもう一度考えた。なにも思い浮かばない。卵が憎らしくてたまらない。ひとつを手に取り、それを力一杯シンクに投げ入れた。ひとつ、またひとつ。ついにすべての卵を割った。これで満足するはずだったのに、ぜんぜん充分ではない。他のものを壊したい。もっと筋肉を使うもの、わたしをもっと疲れさせるもの。アリスはキッチンの中を見回した」
それからほぼ1年が経過した2004年11月には、自宅の玄関に敷かれているあるモノが認識できなかったために起こる変化が、以下のように綴られる。「玄関ホールまで走っていき、ドアにたどり着きそうになったところで体が動かなくなった。なんて奇妙なことだろう。ドアの前の床に大きな穴が空いているではないか。幅が玄関ホールくらいあり、長さは二メートルくらい。その下にあるのは暗い地下室だ。通り抜けられない」
主人公のアリスは、このような表現を通して『ふしぎの国のアリス』と結びつけられてもいる。
また、定期的に行なわれる診察の風景も、小説のリアリティの大きな要因になっている。そこでは同じテストが繰り返され、症状の進行が確認される。医師はアリスにある名前と住所を告げる。「ジョン・ブラック、ブライトン市ウェスト・ストリート四十二番地」。それにつづいて、まったく違う質問をしたり、簡単な作業をさせ、そのあとで先ほどの名前と住所を尋ねる。そういう場面では、読者もテストを受けているような気持ちになるはずだ。
さらに、若年性アルツハイマーならではのドラマがある。若年性は65歳未満で発症し、強い遺伝的な継承が原因である可能性が高い。アリスとやはり研究者であるジョンの夫婦には三人の子供がいて、アリスの病の原因が遺伝によると判明することで、子供たちもこの病と深い関わりを持つことになる。
では、著者のジェノヴァは、患者の立場から病をリアルに描き出すことで、読者になにを伝えようとしているのか。それは、患者という他者を私たちがどのように受け止めるかということと無関係ではない。アリスが大学でこれまでのような活動をつづけることが難しくなり、病を公表し、仕事から退く決断をしたとき、周囲の人々は彼女に対してよそよそしい態度をとるようになる。
だから、彼女が記憶を失う前に臨む最後の講演で発する言葉が重要になる。以下がその一部だ。
「どうかわたしたちを緋文字のAとして見ないでください。わたしたちを役立たずだと思わないでください。わたしたちの目を見て、直接話しかけてください。わたしたちが間違ったことをしてもパニックにならないでください。わざとしていると受けとらないでください。なぜならわたしたちは間違いを犯してしまうからです。わたしたちは同じことを何度も言い、おかしなところにものを置き、迷子になるでしょう。でも必死になってその償いをし、認知の喪失を乗り越えようとするでしょう。
わたしたちに制限を設けるのではなく、力づけてもらいたいのです。脊髄を損傷したり、手足を失ったり、あるいは脳梗塞で身体障害になったりした人がいたら、家族や専門医は、その人のリハビリに全力を尽くし、その後の人生をよりよくする道を探そうとするでしょう。わたしたちにもそのように接してください。記憶障害、言語障害、認知症を補うツールを開発してください。支援グループへの参加を勧めてください(後略)」
この小説では、アルツハイマー病を通して、自己と他者の関係という重要なテーマが鋭く掘り下げられている。 |