変貌するインディアンと白人の関係、繰り返される悲劇
――シャーマン・アレクシーの小説『インディアン・キラー』とその社会的背景


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 しかし、科学を受け入れることには当然、反発が付きまとう。著者は、アリゾナ州のグラハム山に建造されることになっていた天文台のプロジェクトの顛末をそうした反発の皮肉な象徴と見る。 計画を知ったアパッチ族の老女が、グラハム山は部族の聖地であると抗議し、この抗議にリベラルやエコロジストが呼応して全国的な反対運動を展開し、マスコミがこれを煽り、結局プロジェクトは立ち消えになってしまったのだ。

 ところが、地元の部族はその山が聖地だという話を聞いたこともなく、宗教的な関心はほとんど持ち合わせていなかった。このギャップについてあるインディアンは、部族の80%が失業しているというのに、エコロジストたちは、 本当にわたしたちを救済するための資金援助をするかわりに、わたしたちの代表でもない人間をヨーロッパに送ることに金を使っているというように語っている。

 著者ボードウィックは、インディアンを究極のエコロジストに祭り上げる人々は、伝統的な宗教の多様性と現代のインディアンの多くがキリスト教徒であるという事実を理解していないという。 インディアンの高校生たちを対象にした90年の調査によれば、彼らの70%がキリスト教徒で15%が無宗教で、伝統的な宗教に属すると思われるのはわずかに6%だというのだ。

 またインディアンにも、白人がやって来る前に、 果実を枝ごとすべて毟り取ってしまったり、動物たちを乱獲していた例はたくさんあるというのだ。そして天文台の顛末については、従来の侵略者と犠牲者という図式をさらに引き伸ばすことになってしまったと結論づける。

 要するに、インディアンは、厳しい現実のなかを生き残るためにリスクを背負って大きな変貌を遂げつつあるのに対して、白人は、そんなインディアンを過去のノスタルジックなイメージで縛ろうとしているというわけだ。 これが皮肉な逆転現象ということである。但しもちろん、すべてが逆転したというのではない。伝統的な生き方を堅持し、聖地を守るインディアンも存在している。 白人メディアがそんな世界ばかりを売り物にするために、現実との極端なギャップが生じているということだ。

■■ロスト・バード・シンドロームとは何か?■■

 インディアン社会の背景説明が長くなってしまったが、すでに『インディアン・キラー』を読み終えられた読者にはそれも納得していただけることだろう。本書では、インディアン・キラーが投げかける波紋を通して、 インディアンと白人社会の狭間で屈折やトラウマを背負った様々な人物たちの内面が掘り下げられ、彼らがそれぞれに正しいと信じることが増幅していくことによって、 罪もない生け贄を作り上げてしまう悲劇が浮き彫りにされる。




 
そうした人物のなかでも、悲劇の主人公ともいえるジョン・スミスの背景には特に注目しておく必要がある。この小説を読み終えたあと筆者は、 インターネットを使ってこの小説とインディアンの現状について実際に何人かのインディアンとメールのやりとりをしたのだが、そのときに彼らの立場でなければなかなかわからないであろうと思われる指摘を与えられた。 レッド・ウイングというハンドルネームを持つ混血のインディアンが、ジョンの立場には ”ロスト・バード・シンドローム” が反映されていると語った。筆者はこの言葉にまったく縁がなかったが、その意味を尋ねると、 彼はサウス・ダコタ在住の歴史家レニー・サンソム・フラッドが書いた『LOST BIRD OF WOUNDED KNEE』(Scribner,1995)という本を紹介してくれた。筆者はさっそくこの本を取り寄せ、彼の言葉を理解した。

 1890年12月末、サウス・ダコタのウーンデッド・ニーで騎兵隊によるラコタ族の大虐殺が行われた。この事件は非常に有名で、『インディアン・キラー』の物語のなかで言及があるマリー・クロウ・ドッグの『ラコタ・ウーマン』(第三書館) でも詳しく語られている。この大虐殺の4日後、寒波が去った凄惨な殺戮現場で女の子の赤ん坊が奇跡的に生き残っているのが発見される。赤ん坊は軍規を無視した准将の養子にされ、この娘は、後に司法長官補佐となった養父によって、 インディアンの部族との駆け引きに利用されたり、性的虐待を受けたことが明らかになる。

 成長した彼女ロスト・バードは、自分のルーツを探し求める苦悩と困窮の旅をつづけ、29歳で没し、故郷から遠く離れた墓地に葬られた。 そして運命の大虐殺から百年以上も経過した1991年、虐殺の犠牲者たちの子孫が、そのロスト・バードの墓を見つけ出し、遺骨を故郷ウーンデッド・ニーにある彼女の親族が眠る墓地にあらためて埋葬した。 ロスト・バード・シンドロームとはそんな子供たちが背負う癒しがたいトラウマを意味しているといっていいだろう。

 それは確かにジョンに反映されていると筆者も思う。このロスト・バードの物語を踏まえてみると、アレクシーならではの幻想的な表現を交えてジョンの出生が綴られる小説の冒頭部分は非常に象徴的である。 少女のような若い娘がジョンを産むと、ヘリが現れて彼を連れ去り、ヘリに乗った射撃手が機関銃で保留地を掃射し、一瞬の戦争が巻き起こる。そして赤ん坊は白人の夫婦のもとに届けられる。 この冒頭の章には「神話」というタイトルが添えられている。

■■インディアン・キラーが意味するもの■■

 『インディアン・キラー』は、悲劇の歴史が生みだしたトラウマを背負うジョンが、インディアンの現実とギャップがある現代アメリカ社会のなかでいかなる運命をたどることになるのかを描く作品であるといえる。 彼を取り巻く世界を生きる登場人物たちは、そのギャップゆえにそれぞれに微妙な立場に立たされている。たとえば、ジョンに洗礼をほどこすダンカン神父。本来なら彼はジョンの精神的な支えとならなければならないが、 彼自身がインディアンであることとキリスト教の聖職者であることから生まれる矛盾を解決できず、姿を消してしまう。ジョンはその矛盾を引き継ぎ、何度となく神父の幻影を見る。

 この小説の登場人物たちの立場を理解するうえで、シアトルという舞台も無視できない。シアトルはリベラルの拠点であり、ここには先ほど引用したアレクシーのコメントに通じる彼の視点がはっきり刻み込まれている。 「シアトルという都市は二百以上の部族を含むるつぼであり、そこに住んでいる白人たちは自分の体にインディアンの血が流れていればいいのにと思っている」。

 その視点は登場人物にも具体化されている。大学でインディアン文学の講義をする白人のマザー教授は、リベラルを象徴する人物だ。彼は、自分がインディアンの見方だと信じているが、 それは理想化されたインディアンの味方であって、カジノ経営といった現実については純粋性が資本主義に汚されるというような批判的な立場をとる。彼はインディアンになりたいのだが、 過去にそうなれないことを思い知らされる事件を体験し、内面では本物のインディアンを憎悪してもいる。インディアンの作家を名乗ってミステリーを書く白人の元警官ウィルスンの立場もマザー教授に近い。 彼も書物で理想化されたインディアンの世界に憧れを持つようになり、ニューエイジのムーヴメントに乗ってインディアン文化を商品化しようとする出版社と結託することによって、虚構の世界のなかでその憧れを実現している。

 一方、インディアンの登場人物の立場も非常に複雑だ。文学の講義でマザー教授と対立する女子大生マリーは、しっかりと伝統を背負い、主張を持ったインディアンのように見えるが、両親が、 娘が保留地の外で生きていけることを優先する教育を行ったため、部族の言葉を話すこともできずふたつの世界の狭間で屈折を内に秘めている。彼女の従兄のレジーは、白人の父親からインディアンを否定的に見るような限りなく洗脳に近い教育を受け、 マザー教授とは対照的に完全な白人になることを望んでいたが、逆の絶望を味わうことになる。

 そんな人物が交差する世界のなかで、ジョンは、保留地というルーツを持たないアイデンティティの喪失に悩み、現実から遊離していく。そして、インディアン・キラーの波紋のなかで、 それぞれに自分が正しいことをしていると信じる登場人物たちの行動が複雑に入り組み、生み出す磁場は、現実から遊離したジョンの存在を確実に引き寄せていく。

 本書のタイトル『インディアン・キラー』にはふたつの意味がある。白人を殺して頭皮を剥ぎ、フクロウの羽根を残していく殺人者とインディアンを殺す者だ。筆者にロスト・バード・シンドロームのことを教えてくれた混血のインディアン、 レッド・ウイングは、この小説の結末について「インディアンを殺すにはいろいろな方法があるのだ」と語っていた。これは重い言葉であると思う。ジョンは、インディアン・キラーに対する単純な白人の報復で殺されるのではない。 しかも彼はふたつの意味で殺されることになる。彼の死は、純粋に命が奪われると同時に、ロスト・バードに象徴される悲劇の歴史が生んだ傷ついた魂が、何の癒しも救いもなく葬り去られることを物語るからだ。 読者はこのインディアン・キラーが意味するものが反転する瞬間に衝撃をおぼえ、世界に対する覚醒に導かれることだろう。そこには、長いあいだ虐げられてきたうえに、 以前とは別の図式のなかでインディアンを裏切ろうとするアメリカ社会に対する、アレクシーの激しい怒りと深い絶望感が刻み込まれているからだ。

 
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