ツァイ・ミンリャンは、常に主人公たちの肉体を通して内的な世界を掘り下げてきたが、『ふたりの時、ふたつの時間』や今回公開される『楽日』では、その視点に微妙な変化が見られる。時間という要素が強調され、それが肉体と結びついていくのだ。
「私は初期の作品から新作に至るまで一貫して、肉体のその先にあるもの、奥深くに秘められたものを探りつづけています。その表現方法は、私が人生経験を積むなかで、徐々に変化はしています。私たちは、絶えず流れつづける時間のなかで、何も得られず、失うばかりであることを往々にして発見するわけです。『河』のなかで、サウナに行ったミャオ・ティエンは、若い男とうまく関係が持てず、自分が若い肉体を失ってしまったことを思い知らされます。『ふたつの時、ふたりの時間』では、シャオカンとルー・イーチンが、あっという間に父親や夫を失ってしまう。私の作品全般に共通していることですが、青春や若い肉体、家族などを失うこととどう向き合えばよいのかわからず、それが深い喪失感に繋がっていく。それは『楽日』にも鮮明に表現されています。あの古い映画館が間もなく取り壊されて、見捨てられてしまう。それはまるで人間の人生と同じようなものです」
『楽日』に描かれる様々なドラマは、現実というよりも、夢のなかの出来事のように見える。映画の冒頭には、観客で埋まった客席という劇場の記憶が浮かび上がる。受付嬢が映写室に桃饅頭を届けると、そこに映写技師の姿はなく、劇場そのものが映写機を動かしているような印象を与える。そして、最後に映写技師が現れるとき、夢の時間も終わる。
「これは、夢の世界と同じような状況だといえます。映画館で上映されるキン・フーの『血闘竜門の宿』は、大先輩に対して敬意を表すと同時に、夢の始まりというものを観客に告げているわけです。そして、上映が終わると同時に、夢も覚めてしまう。しかし、その夢というのは、悲哀に満ちた夢なわけです。シャンチーはシャオカンにほのかな恋心を抱き、日本人は映画館に来て慰めを見出し、ミャオ・ティエンとシー・チュンという老いた名優たちは、自分たちの青春時代が失われたことを認めざるを得ない。この映画では、夢のなかのように、人物の出入りが唐突に起こります。映画館のなかにはいろいろな人がいたわけですが、突然消えてしまって、ミャオ・ティエンとシー・チュンという老人だけが残される。これは意図的にそのように作ったものです」
一方、『西瓜』では、水不足の日常とAV産業の狭間に置かれた肉体を通して、内的な世界が掘り下げられていく。この映画を観て筆者が思い出すのは、『河』でツァイ監督にインタビューしたときのことだ。『河』には、AVの販売業者が出てくるが、彼はAVにまつわる話の延長で、こんなことを語っていた。人は愛情を求めているのに、愛につきまとう面倒な事柄を避けたいがために、とりあえず性の部分だけを処理しようとする。そして欲望だけを処理しているうちに、どこか麻痺してしまい、愛がわからなくなる。この論理は、人と映画の関係にも置き換えることができるだろうし、『西瓜』では、そうした置き換えも意識して、愛と性が描かれているように思える。
「そういってもいいと思います。観客は娯楽を与えられることに慣らされ、現実から逃避するために映画館に足を運ぶわけです。だから、愛や性の描写も、非常に美化されなければなりません。でも、私の映画のなかにある性の描写は、その対極にあるものだといえます。映画が何を人に与えることができるのか、なぜ映画を撮るのかというのは、私が映画を作りながらずっと考えつづけていることですが、観客はたぶん娯楽のためだけに映画館に来ているわけではないと思います。だから、自分の作品が、これまで観客が慣らされてきたものと同じであってはならないと考えています。観客がいままで観たこともないものを私は提示したい。この『西瓜』の撮影には、夜桜すももさんがやってきて、ためらわずに服を脱いでくれました。私たちスタッフは、その姿を見て驚愕し、この肉体をどう撮るのかということを、再認識しなければいけないと思ったわけです」
『西瓜』については、『Hole』よりも大胆にミュージカル・シーンが盛り込まれていることにも注目する必要がある。
「ミュージカル・シーンの演出は、ほとんど直観で決めました。たとえば、AV男優のシャオカンが仕事の後で、屋上の貯水槽で水を浴びる場面ですが、べとついた身体を洗い流した彼は、爽快になるだけではなく寂寥感を覚える。そこで、気持ちの変化を表現するために、愛の歌を持ってきました。古風な塔が見える公園の場面は、昔風の愛の感覚をコメディタッチで表現するためにそこを選びました。シャオカンがトイレのなかで性器の形をした帽子を被っている場面は、そのときに彼が男性機能を失っているからです。というようにミュージカル・シーンはすべて、人物の心象風景になっています」
最後に、ツァイ監督が、台湾映画の現状をどのように見ているのか尋ねてみた。
「台湾映画界は、二、三年前まで非常に苦しい状況にありましたが、政府が韓国に刺激されて、特に若い監督の育成に力を入れるようになり、状況が好転しました。たぶん昨年は新作が二十数本公開されていると思います。少ないときには、年間に七、八本ということもありましたから。観客を意識した宣伝や配給にも力を入れはじめ、興行収入もよくなってきました。私自身についていえば、実は『Hole』までの四作品は、興業的には芳しくなかったわけです。そこで『ふたつの時、ふたりの時間』では、何とか作品を知ってもらおうと、自分で街角や大学でチケットを売る努力をし、ひとつの映画館で三万人の観客を動員することができました。この『西瓜』では、台湾全体で十三万人を動員しました。DVDの販売状況も理想的なものになっています。この時代にあっては、そういうことにいろいろ気を配る必要があるということです」 |