蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)は、『青春神話』『愛情萬歳』『河』の三部作を通して、大都会のなかで匿名的な存在と化しながら、触れ合いを渇望する人間を描いてきた。彼らは、家族や社会のしがらみから逃れるために自己を匿名化し、安らぎを得るものの、それは刹那的なものであって、
欲望と孤独の狭間で苦悩することになる。新作「Hole」の主人公である名前も紹介されない女と男もまた、終末的な世界のなかで孤立している。
2000年を目前にした都市には雨が降りつづき、水道水に新種のウイルスが混入し、政府は汚染地帯への給水停止を宣言する。巷には”ゴキブリ症候群”という奇病が蔓延しつつある。女と男は危険地帯にあるマンションで、それぞれに孤独な生活を送っている。
この映画では、階上に住む男とその真下に住む女の部屋の間にぽっかりと開いた穴をどう解釈するかによって、ドラマの意味が変わってくる。この穴は、水漏れに悩む階下の女が呼んだ配管工が意図もなく作ってしまったものだ。それを偶然の産物として見るならば、
穴をめぐる女と男の立場は対等である。しかし、蔡明亮独特の映像言語を通して見るならば、これは決して偶然の産物ではない。
彼は、コントロールが困難な欲望の象徴として水のイメージを多用するが、この穴は突き詰めれば、欲望と孤独の狭間で苦悩する階下の女が作ったものなのだ。そこで思い出されるのは、前作の「河」で、主人公の若者シャオカンが原因不明の首の痛みに襲われることだ。
それは、誰かに触れられたいとか、現状に揺さぶりをかけたいという彼の潜在的な願望が痛みとなって現れたもので、彼を取り巻く閉塞的な状況を打破する糸口となる。
階下の女の潜在的な願望は穴となって現れる。しかしそれは意図したものではない。だから、シャオカンが首の病気を治そうとするように、彼女も穴を拒絶し、必死に塞ごうとする。
そこで生きてくるのが、意表を突くように挿入されるミュージカル・シーンだ。
蔡明亮はこれまでほとんど音楽を使うことがなかっただけに、この色鮮やかで、ノスタルジックなムードが漂う歌と踊りに違和感を覚える人もいるかと思うが、それは穴を糸口に増殖する彼女の願望を象徴している。そんなこれまでと違うファンタジックな世界のなかで、ヒロインは自己を現実の呪縛から解放し、他者に救いを見出すのである。 |