アンドレイ・ズビャギンツェフ・インタビュー
Interview with Andrey Zvyagintsev


2004年7月 渋谷
父、帰る/Vozvrashcheniye/The Return――2003年/ロシア/カラー/111分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:「STUDIO VOICE」2004年9月号、若干の加筆)

 

 

キリスト教的なシンボルから人々が共生する神話へ
――『父、帰る』(2003)

 

 2003年のヴェネチア国際映画祭で、グランプリである金獅子賞に輝いたのは、ロシア映画の『父、帰る』。64年生まれのアンドレイ・ズビャギンツェフは、この映画で、初監督作品にしてグランプリを受賞するという快挙を成し遂げた。しかも彼は、ロシア映画界においても、傍流に属するまったく無名の存在だった。もともと舞台俳優だったズビャギンツェフは、映画制作の専門的な教育を受けることもなく、テレビでシリーズものの三話を手がけただけで、この長編を作り上げ、いきなりロシア映画の歴史に新たな一頁を加えることになったのだ。

 『父、帰る』の物語は、一見きわめてシンプルに見える。12年間も消息不明だった父親が、ある日突然、家族のもとに帰ってくる。彼は、ふたりの息子を小旅行に連れだし、大人になるための試練を与える。兄はそんな厳しい父親を受け入れていくが、目の前にいるのが父親だという実感を持てない弟は事あるごとに激しく反発し、やがて悲劇が起こる。

 この映画では、時代背景や社会状況を示す情報が削ぎ落とされていくが、そのミニマリズムは逆に新たな謎を生み出していくことにもなる。父親は誰かとしきりに連絡をとり、息子たちと無人島に渡ると密かに金属の箱を掘りだす。さらにこの映画には、父親が画面に登場した瞬間からイエス・キリストに喩えられるように、随所に宗教的なモチーフが埋め込まれている。そして、そんな聖と俗がひとつになるとき、どこにでもありそうなシンプルな物語からは、神話的な世界が浮かび上がってくるのだ。

***

 『父、帰る』でまず注目しておかなければならないのは、脚本と映画の距離だろう。プロデューサーのレスネフスキーが見つけてきたオリジナルの脚本は、ギャングなどが絡んでくるジャンル色の強いドラマだったという。映画にもその片鱗は見られるが、軸になるのはあくまで父親と息子たちのドラマであり、兄弟には窺い知れない父親の行動や過去は、ジャンルの枠を越えたところで「謎」と化していく。

「確かに私は、オリジナルの脚本からジャンル色を極力排除していったのですが、粗筋の部分まで削ってしまうわけにはいきませんでした。それは、観客の関心を持続させなければならないということもありますが、このジャンルの扱いについては、サスペンスに対する私なりの考えが反映されています。たとえば、ドストエフスキーの長編小説には、殺人をめぐるミステリ的な要素がありますが、小説そのものはミステリではない。アントニオーニ、ブレッソン、フェリーニ、ベルイマンの作品にも必ずサスペンスの要素がある。サスペンスのない映画は、色のない絵画や空気の振動がない音楽に等しい。サスペンスというのは、ジャンル色でも表現手段でもなく、映画という言語の血であり、肉であり、不可分なものだと思うのです」

 この映画から排除されているのはジャンル色だけではない。主人公の父子は、最終的に無人島へと至る旅のなかで町に立ち寄ることもあるが、そのドラマから社会状況や時代背景が見えてくることはない。そうなると逆に気になるってくるのが、父親が12年ぶりに家族のもとに帰ってくるという設定だ。12年前という時間は、ソ連の崩壊という具体的な出来事を連想させるからだ。

「それは単なる偶然というべきでしょう。オリジナルの脚本が書かれたのは2000年のことですが、そのなかでも12年ぶりということになっていました。この映画のスタッフは少数だったので、私やカメラマンは衣装担当者などと協力して、時代を示す要素を極力排除するという意味での時代考証をやりました。社会の変動が見えれば、ロシア人には時代がすぐにわかってしまうので、自動車の車種やナンバープレート、公衆電話、洋服、食器やスプーンに至るまで、できる限り時代がわからないようにしたのです。だから、70年代といっても、80年代といっても、2004年といっても、通用するはずです」

 ジャンル色や時代を示す要素を排除したドラマは非常にシンプルに見えるが、そこには独自の象徴的な表現が散りばめられ、現実の世界のなかに、宗教的、神話的な世界が切り開かれていく。この映画に出てくる二つの塔は、そんなドラマの鍵を握っているといえる。まず冒頭では、塔から水に飛び込めるかどうかをめぐって兄弟の間に亀裂が生まれ、その塔の上で、母親が飛び込めない弟を受け入れる。父親と兄弟がたどり着いた無人島にも、同じような塔があり、まず父親と兄がその塔を共有し、やがてそこで父親と弟が対峙する。

「ロシア正教における洗礼の儀式は、いまでは形式的なものになり、ただ水をかけるだけなのですが、もともとは全身を水に浸すことになっていました。まだ神に至っていない人間、古い人間を水に溶かし込んでしまうという儀式だったのです。この映画で、弟が水に飛び込めないというのは、兄弟を争わせるために必要な設定だったのですが、兄が飛び込む姿を真上からとらえ、全身が水に浸るのを目にした時点で、私にはそれが洗礼なのだとわかりました。つまり、水に飛び込んだ兄は、父なる神に帰依できる人間であるのに対して、弟はまだ迷っている人間だということです。母親はそんな弟を受け入れますが、帰ってきた父親は、最初からイニシエーションを強要しつづけ、塔の場面につながります。冒頭の塔の場面が母親の愛の象徴であるとするなら、最後の塔の場面は、自分を犠牲にして息子を救うという父親による愛の表現なのです」


◆プロフィール
アンドレイ・ズビャギンツェフ
1964年ノヴォシビルスク生まれ。86年からモスクワへ移り、モスクワ州立演劇学校で演技を学び、卒業後さまざまな民営劇場で俳優として活動する。その後広告業界に活躍の場を広げ、レン・テレビのプロデューサー、ドミトリイ・レスネフスキーと出会う。00年に心理サスペンスのテレビシリーズ"Black Room"の3話でテレビ監督デビューを果たす。本作は長編映画デビュー作である。ヴェネチア国際映画祭ではグランプリ金獅子賞と新人監督賞を受賞したが、初監督作品にしてグランプリを受賞という、同映画祭初の快挙となった。
(『父、帰る』プレスより引用)
 
 
 
―父、帰る―

◆スタッフ◆
 
監督   アンドレイ・ズビャギンツェフ
Andrei Zvyagintsev
脚本 アレクサンドル・ノヴォトツキー、ウラジミール・モイセエンコ
Vladimir Moiseyenko, Aleksandr Novotosky
製作 ドミトリイ・レスネフスキー
Dmitri Lesnevsky
製作総指揮 エレーナ・コワリョワ、アンドリュー・コルトン
Yelena Kovalyova, Andrew Colton
撮影監督 ミハイル・クリチマン
Mikhail Krichman
編集 ウラジミール・モギレフスキー
Vladimir Mogilevsky
音響 アンドレイ・デルガチョフ
Andrei Dergachyov

◆キャスト◆

弟イワン   イワン・ドブロヌラヴォフ
Ivan Dobronravov
兄アンドレイ ウラジミール・ガーリン
Vladimir Garin
コンスタンチン・ラヴロネンコ
Konstantin Lavronenko
ナタリヤ・ヴドヴィナ
Natalya Vdovina
(配給:アスミック・エース)
 


 それから、生と死をめぐる象徴的な表現も印象に残る。この映画では、左右対称の構図が死のイメージと、重心が左右に傾いた構図が生のイメージと結びつくことによって、生と死のコントラストを生みだしているように見える。

「ある時、知人の女性が、アジア的な精神分析をしてくれたことがあります。ここに棚があって、花瓶を棚のどこに置くかと問われて、私は考え込んでしまいました。結論としては、真中や左右に置くのではなく、中心からどちらかに寄った位置に置くのがいいのだそうです。なぜなら、完全な左右対称というのは、停滞、硬直した状態、つまり生きてない状態であり、それゆえ中心に向かっていくことが重要になる。最初に世界が作られたとき、それは不完全なもので、完全なものへと向かっていくことが、すなわち生なのだというのです。私はその話がとても面白いと思いました。この映画を作るときには、そのことを意識していたわけではないのですが、いま構図のことを指摘され、それを決めたときのことを振り返ってみると、確かにそういう発想があったのだと思います。兄弟が最初に父親の姿を目にするとき、彼はマンテーニャの「死せるキリスト」の絵のように、画面の真中に横たわっています。それから後に、兄弟が父親の遺体を運ぶときにも、父親の身体が真中に横たわり、兄弟が左右対称になります」

 この映画には、たくさんの象徴的な表現があるが、そのなかでもズビャギンツェフ監督が特にこだわって作り上げたイメージがあるという。それは、兄弟が父親の遺体をボートに乗せ、無人島を離れようとする場面で見ることができる。

「いままでほとんど指摘されたことがありませんが、これはキリスト教的なシンボルです。(実際に図を描きながら)ふたつの弧を合わせた楕円に近い形のなかに、人の身体があります。これはイエスです。ふたつの弧を延長していくとふたつの円になり、それぞれが生と死を表します。この生と死が重なる部分は、キリスト教ではマンドルアと呼びます。キリストが死んでから三日後に復活することを、私たちは変容を遂げたという言い方をし、このシンボルはその変容を象徴しています。私は、兄弟がボートに乗せた父親の遺体を、クレーンで真上から撮影したかったのですが、資金が足りず、ボートの手前に三脚を立てて撮りました。真上からではなく、少し角度がついてしまいましたが、実際に画として作ることができました。これは、私にとって変容を示す表現なのです」

 最近では、『ロード・オブ・ザ・リング』から『トロイ』や『キング・アーサー』まで、神話的な物語を題材にした映画が目立っているが、ズビャギンツェフはこの『父、帰る』で、まったく異なる視座から神話的な世界を切り開いている。彼は、現代のおける神話的な力、神話の意味をどのように考えているのだろうか。

「とてもいい質問だと思います。ロシアでは、芸術作品として神話を扱おうとしている人はほとんどいない。強いて名前をあげるなら、演劇界の人ですが、モスクワで劇団を主宰しているアナトーリ・ワシーレフくらいでしょう。映画に関しては、そういう人はいないし、世界の映画について考えてみても、名前が思い浮かばない。ということは、需要と供給の関係で、一般消費者の嗜好にあわせて娯楽として神話というものを題材にしているということになるのかもしれません。
 それでは、私自身が神話的な力をどうとらえているのかということですが、あるイメージが思い浮かんだので、そのイメージを通して説明します。私たちは誰もが携帯電話を持ち、電波によってお互いに結びついています。その電波というものは、実はものすごいエネルギーをもってこの場に存在し、常に私たちを貫いているわけです。それが私たちが生きている環境ですが、神話はその電波にたとえることができます。人々は日々あくせくしながら物質的な世界を生き、目に見えるものを追求していると思っているわけですが、実は神話というもの、人々が共生するという掟が常に私たちと接触している。古代ギリシアや古代中国の時代にできた掟というものが私たちを律し、身体を貫いているのですが、それを十分に認識していない。私たちは、着ている服が違うくらいで、古代の人間たちと何も変わっていない。つまり、いまだけだと思っていることが、数千年前にすでに起こっていて、今後も何千年もそれを繰り返していくということなのです」

 『父、帰る』のドラマには、日曜日から始まって土曜日に終わるだけでなく、そのラストが最初のシーンに繋がって、循環するような構造がある。兄弟は、父親が帰ってきたとき、家族で撮った古い写真で父親を確認する。しかし、ラストではその写真から、まるで幻であったかのように父親の姿だけが消えている。そのことを踏まえて、この物語の導入部を振り返ると、父親は帰ってきたのではなく、兄弟の亀裂が「死せるキリスト」のように眠る父親を呼び覚まし、召喚したようにも見えてくる。この物語は、そんなふうにして永遠に繰り返されるのだ。

 そして最後に、いささか唐突に思われるかもしれないが、ズビャギンツェフによる『アメリカン・ビューティー』評を紹介したい。彼は、アメリカ映画のなかで、『マグノリア』や『アイス・ストーム』とともにこの作品を高く評価しているのだが、その解釈にはいかにもこの監督らしい世界観を垣間見ることができる。

「『アメリカン・ビューティー』は、私にとって宗教映画なのです。この主人公は、キリストが「眠りから目覚め、そして生きよ」と言ったのと同じ意味での目覚めを体験するのです。映画の最後で、まったく新しい生活を送る準備ができた主人公は、家族が幸福だった昔の写真を見ます。彼は、世界の美しさというものを完全に受け入れ、新しい世界に入り込もうとしたときに、隣人の父親に射殺されてしまいます。プーシキンという19世紀のロシアの大詩人は、37歳のときに決闘で腹部に重傷を負い、その三日後くらいに亡くなるのですが、彼の友人だったジュコーフスキーという詩人が、死ぬ直前のプーシキンについて、彼がこの世界を受け入れ、喜びの微笑を浮かべて息を引き取ったというように書き残しています。この映画では、隣人の息子が、主人公が死んでいるのを発見し、彼の顔を覗き込んで微笑みます。なぜその少年が微笑んだのかといえば、主人公がこの世の美しさを受け入れて死んだ幸せな人間であることを理解したからであって、まさにジュコーフスキーの言葉を思い出させるのです」

(upload:2005/04/10)
 
 
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