エレナの惑い
Elena  Elena
(2011) on IMDb


2011年/ロシア/カラー/109分/スコープサイズ/5.1ch
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(初出:)

 

 

ロシアの大地と神話的な力を
奪い去られたヒロインの孤独

 

[ストーリー] 冬のモスクワ。初老の資産家と再婚した元看護士のエレナは、生活感のない高級マンションで、一見裕福で何不自由ない生活を送っている。しかし夫が望んでいるのは、家政婦のように家事をし、求められるままにセックスをする従順な女でしかない。そんな生活のなかで、彼女は夫の顔色をうかがいながらも、唯一の自己主張のように、前の結婚でもうけた働く気のない息子家族の生活費を工面している。しかしそんな日常は、夫の急病により一変する。「明日、遺言を作成する――」。死期を悟った夫のその言葉と共に、彼女の「罪」の境界線がゆらいでいく。そして、彼女がとった行動とは――。[プレスより]

 ロシアの異才アンドレイ・ズビャギンツェフは、この第3作『エレナの惑い』で、前作『ヴェラの祈り』(07)につづいて女性を中心にすえた物語を作り上げた。前作のヒロインであるヴェラには、ロシアのキリスト教化以前の女性神話が様々なかたちで投影されていた。だから私たちは、エレナにはどんな女性神話が投影されているのかという関心を持つが、映画を観るとズビャギンツェフが前作とは対照的なヒロインを描いていることがわかる。

 ただ物語をたどるだけであれば、自分の運命を夫に委ねる前作のヴェラに対して、その道徳的な是非はともかく、自分で未来を選択する本作のエレナのほうが強いヒロインのように見える。しかし、神話的なレベルでは、逆のことがいえる。ヴェラは自然と結びつき、大地を潤すような変化をもたらした。ロシアの原初的な女性神話には、自然や大地が不可欠のものとなる。

 『エレナの惑い』には、自然の要素が希薄だ。目にとまるのは、映画の冒頭で、風に揺れ、小鳥が羽を休める梢を時間をかけて映す場面くらいだろう。ドラマのなかでエレナは、夫と暮らす高級マンションと息子家族が暮らす工場地帯にある共同住宅を往復するが、自然との接点が示されることはない。

 ズビャギンツェフがこだわる神話に関してここで確認する必要があるのは、前作のレビューでも参照したジョアンナ・ハッブズの『マザー・ロシア――ロシア文化と女性神話』にある以下の記述だろう。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   アンドレイ・ズビャギンツェフ
Andrei Zvyagintsev
脚本 オレグ・ネギン
Oleg Negin
撮影監督 ミハイル・クリチマン
Mikhail Krichman
編集 アンナ・マス
Anna Mass
音楽 フィリップ・グラス
Philip Glass

◆キャスト◆

エレナ   ナジェジダ・マルキナ
Nadezhda Markina
ウラジミル アンドレイ・スミルノフ
Andrey Smirnov
カテリナ エレナ・リャドワ
Elena Lyadova
セルゲイ アレクセイ・ロズィン
Aleksey Rozin
(配給:株式会社アイ・ヴィー・シー)
 

「異教のスラブとロシアの偉大な女神のイメージとは違って、正教のマリヤのイメージは歴史的起源を持ち、都市で生まれた。彼女は一〇世紀にキエフに入り、基本的には男性的な余所者の信仰――それは、大地あるいは森の肥沃にではなく、父権的権力、罰、子としての愛に根を持っている――への住民の改宗にとって媒介者として重要な役割を果たした」

 エレナは自然ではなく都市で、父権制社会を生き、祈るとすればキリスト教に救いを求めるしかない。もちろん、彼女がとる行動を、それだけであれば、原初的な女性神話における女神の復讐と解釈できないこともない。しかし、息子に対する彼女の姿勢が、そんな解釈をあっさりと打ち砕いてしまう。

 先述した『マザー・ロシア』によれば、女性神話の女神は、ルサルカにしてもヤガー婆にしても、イニシエーション(通過儀礼)をもたらす者だという。だがエレナは、息子にイニシエーションをもたらすどころか、ただ甘やかすことしかできない。彼女は、ロシアの大地と神話的な力を奪われた孤独な存在であり、私たちはその痛々しい姿に胸を締めつけられることになる。

《参照/引用文献》
『マザー・ロシア――ロシア文化と女性神話』ジョアンナ・ハッブズ●
坂内徳明訳(青土社、2000年)

(upload:2014/12/21)
 
 
《関連リンク》
アンドレイ・ズビャギンツェフ 『裁かれるは善人のみ』 レビュー ■
アンドレイ・ズビャギンツェフ 『ヴェラの祈り』 レビュー ■
アンドレイ・ズビャギンツェフ 『父、帰る』 レビュー ■
アンドレイ・ズビャギンツェフ・インタビュー 『父、帰る』 ■

 
 
 
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