園子温インタビュー01
Interview with Sion Sono


2006年
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(初出:「キネマ旬報」2006年9月下旬号)

伝統があるかのように見せかけている世界

 園子温監督の新作『紀子の食卓』のベースになっているのは、園監督が映画『自殺サークル』とともに発表した小説バージョン『自殺サークル 完全版』だ。この小説には独自のアイデアが盛り込まれ、映画とは異なる世界が切り開かれている。それはたとえば、孤独な客のニーズに合わせ、時間決めで家族を演じるレンタル家族≠ニいうアイデアだ。

「映画の『自殺サークル』では、日本人の内面というよりは、外から見た社会をワイドショーのようにセンセーショナルに描きました。その社会は不透明で、しかも映画は中途半端に終わる。それが当時の日本に対する僕の印象だったんです。小説の方は、その前作のようなものですね。自分がどうやってこの映画を作っていったのか、その動機も含めて思い返してみたとき、レンタル家族やインターネットなど、昔から撮りたかった題材がたくさん出てきた。レンタル家族に興味を持っていたのは、それを描けば、家族の在り方、家族とは何なのかが見えてくると思ったからです」

 しかし、『紀子の食卓』は、この小説の忠実な映画化ではない。園監督は、『自殺サークル』の後に、『夢の中へ』と『奇妙なサーカス』を発表し、『紀子の食卓』もそれらの作品と同じように、現実と虚構が転倒していくのだ。

「順番でいくと、『紀子の食卓』は、『夢の中へ』と『奇妙なサーカス』の間に撮った作品になります。小説は六割くらいしか映画に入ってないので、残りの四割は、そのふたつの映画の間に撮ったことが影響していると思います。現代では、現実と虚構の両方がないともう生きていけないような状況にあると、僕は思っています。インターネットのなかに別の人格を作ることで、生きやすくする。現実と虚構というよりは、どちらも現実だと思っているのが、今の人ではないかと。この映画で、膨大なナレーションを使ったのは、映っているものと喋っていることのどちらが本当なのか、疑ってほしかったからなんです。別の人格で日記を書いて、それを現実とすることが普通になりつつある社会に対して、現代的なアプローチをしたかったんです」

 この映画を観ながら筆者が思い出すのは、デイヴィッド・リンチが、少年時代を振り返ったコメントだ。彼は、雑誌の広告に描かれた人々の笑顔に違和感を覚え、こう語っている。「あれは奇妙な笑顔だよ。世界はこうあるべきだ、そうでなくてはならないといいたげな笑顔なんだ」(拙著『サバービアの憂鬱』第16章参照)。50年代の人々は、そんな広告やホームドラマが演出する表層的で画一的な幸福のイメージに呪縛されていった。『紀子の食卓』で、家族の肖像を画く母親は、娘の紀子とユカが退屈しきっているにもかかわらず、それを笑顔に変える。


◆プロフィール◆

園子温
愛知県豊川市生まれ。17歳で詩人デビュー。「ユリイカ」「現代詩手帳」に続々と詩が掲載され、“ジーパンをはいた朔太郎”と称される。法政大学入学後、『俺は園子温だ!』(85)がPFF入選、『男の花道』(87)でグランプリを受賞。PFFスカラシップ作品として制作された16mm映画『自転車吐息』(90)は、ベルリン国際映画祭他30以上もの映画祭で招待上映された。続く『部屋』(94)ではサンダンス映画祭審査員特別賞を受賞。また映画制作を続ける一方、街頭詩パフォーマンス「東京ガガガ」を主宰し、一大ムーブメントを起こす。2001年末には物議を呼んだ衝撃的な作品『自殺サークル』が公開され、劇場の観客動員記録を塗り替えるスマッシュヒットとなり、海外でもDVD化され話題になる。05年『夢の中へ』『奇妙なサーカス』が連続公開。06年にはTVドラマ「時効警察」の2話を監督。また公開待機中の作品に、『HAZARD』『気球クラブ、その後』『エクステ』がある。今、もっとも目が離せない映画監督である。
(『紀子の食卓』プレスより引用)



「日本では、伝統的な家族の在り方というものが、古くからあるように見せかけているけれども、本当はないと思うんですよ。それがあるのなら、いつから崩壊したのか逆に問いただしたい。そんな曖昧さのなかで、幸せな家族の在り方があると信じ込み、家族を形成していくことの危うさを表現したかった。僕は、伝統がないのに伝統的といわれるものがあるように見せかけている日本映画の流れも嫌いなんです。小津安二郎からの流れや、相米慎二的なるものが、一体何なのかということも疑わずにスタイルに取り入れ、自意識もなくカット割りをしたり、画を作っている。そういう日本映画的なものと日本的な家族は、似ていると思うし、その安定感をずっと疑っているところがあります」

 『紀子の食卓』の主人公一家は、豊川に暮らしている。そこは最初、楽園と表現されるが、紀子が家出し、妹のユカがその後を追い、母親が自殺し、楽園は崩壊していく。

「実は豊川というのは僕の田舎の名前でもあり、そういう固有名詞によって自分を引き寄せて、すべてが同じではないですけど、自分史を語っているところがあるんでしょうね。家族を信じていないというのは、自分がまずそういう環境のなかで育ったというのが大きいと思う。僕は、家族がちょっとしたことで殺し合うような最近のニュースを見ると、なんでそんなに簡単に家族関係が崩壊してしまうのかよくわかる。ありもしない伝統的な家族を作ろうとして、一生懸命やった末に壊れるのだと思いますね。この前、(奈良で)放火して母子を殺してしまったあの長男も、ただ家族を崩壊させたかっただけで、犯罪に走ろうとしたとは思えない。あれこそ、今の新しい伝統ではないかと思ってます」

 東京に出た紀子とユカは、レンタル家族の世界で、それぞれにミツコとヨウコになる。一方、父親の徹三は、レンタル家族を利用し、家族の再会を画策する。その結果、最初から空洞化していた現実の家族と虚構のなかの幸福な家族が激しくせめぎあうことになる。

「徹三は、もともとなかったものを取り戻そうとする存在ですよね。紀子は、自分がミツコではないことに気づいて、ひとつの現実だけを見つめるけど、その先はわからない。妹のユカは、そういったものすべてから自分を切り離していく。ラストでは、どれが正しいということではなく、その三つを出したかった。昔の若松(孝二)さんだったら、ユカだけで終わらせるんだろうけど、僕はそういう革命を目指したわけではなく、今は彼女のような存在が必要なのだということだけを見せたかったので。ただ、その先には進むべきだし、次回作では、『紀子の食卓』以後の現代を描く映画を撮ります」


(upload:2007/12/15)
 
 
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