「日本では、伝統的な家族の在り方というものが、古くからあるように見せかけているけれども、本当はないと思うんですよ。それがあるのなら、いつから崩壊したのか逆に問いただしたい。そんな曖昧さのなかで、幸せな家族の在り方があると信じ込み、家族を形成していくことの危うさを表現したかった。僕は、伝統がないのに伝統的といわれるものがあるように見せかけている日本映画の流れも嫌いなんです。小津安二郎からの流れや、相米慎二的なるものが、一体何なのかということも疑わずにスタイルに取り入れ、自意識もなくカット割りをしたり、画を作っている。そういう日本映画的なものと日本的な家族は、似ていると思うし、その安定感をずっと疑っているところがあります」
『紀子の食卓』の主人公一家は、豊川に暮らしている。そこは最初、楽園と表現されるが、紀子が家出し、妹のユカがその後を追い、母親が自殺し、楽園は崩壊していく。
「実は豊川というのは僕の田舎の名前でもあり、そういう固有名詞によって自分を引き寄せて、すべてが同じではないですけど、自分史を語っているところがあるんでしょうね。家族を信じていないというのは、自分がまずそういう環境のなかで育ったというのが大きいと思う。僕は、家族がちょっとしたことで殺し合うような最近のニュースを見ると、なんでそんなに簡単に家族関係が崩壊してしまうのかよくわかる。ありもしない伝統的な家族を作ろうとして、一生懸命やった末に壊れるのだと思いますね。この前、(奈良で)放火して母子を殺してしまったあの長男も、ただ家族を崩壊させたかっただけで、犯罪に走ろうとしたとは思えない。あれこそ、今の新しい伝統ではないかと思ってます」
東京に出た紀子とユカは、レンタル家族の世界で、それぞれにミツコとヨウコになる。一方、父親の徹三は、レンタル家族を利用し、家族の再会を画策する。その結果、最初から空洞化していた現実の家族と虚構のなかの幸福な家族が激しくせめぎあうことになる。
「徹三は、もともとなかったものを取り戻そうとする存在ですよね。紀子は、自分がミツコではないことに気づいて、ひとつの現実だけを見つめるけど、その先はわからない。妹のユカは、そういったものすべてから自分を切り離していく。ラストでは、どれが正しいということではなく、その三つを出したかった。昔の若松(孝二)さんだったら、ユカだけで終わらせるんだろうけど、僕はそういう革命を目指したわけではなく、今は彼女のような存在が必要なのだということだけを見せたかったので。ただ、その先には進むべきだし、次回作では、『紀子の食卓』以後の現代を描く映画を撮ります」 |