古谷実の同名コミックを映画化した園子温監督の前作『ヒミズ』には、いち早く3・11以後の世界が映し出されていた。しかし『ヒミズ』の場合には、震災が起こったときにはすでに企画が動き出していたため、以前と以後の世界が混在する結果となった。
新作の『希望の国』はフィクションではあるが、園監督が自分の目で見た被災地の現実を土台とし、3・11以後を正面から見据えた作品になっている。
東日本大震災から数年後、長島県という架空の地方を大地震とそれに続く原発事故が襲う。そんな切迫した状況のなかで、一家で酪農を営んできた泰彦と妻の智恵子、息子の洋一と妻のいずみ、そして隣家の息子ミツルと恋人のヨーコという三組の男女が人生の選択を迫られる。
この映画ではストーリーは必ずしも重要ではない。園監督がこだわるのは、登場人物と深く結びついた風景であるからだ。三組の男女が置かれた状況は同じでも、彼らが見ている風景は決して同じではない。
泰彦は、町役場の職員にいくら説得されても、昔から一族を見守ってきた木々や土地から離れるつもりはない。認知症の智恵子は、遠い日の盆踊りの光景に引き込まれていく。そんな老夫婦は過ぎ去った時間と運命を共にする。
生まれてくる子供を守らなければならない洋一といずみにとって、そこは放射能という見えない弾が飛び交う戦場であり、彼らは故郷を捨てることを余儀なくされる。事故から時間が経過するに従って周囲は放射能に無頓着になり、夫婦は孤立していくが、それでも彼らは闘いつづける。
協力して消息がつかめないヨーコの家族を探し歩き、瓦礫に埋もれた海沿いの町を彷徨うミツルとヨーコにとって、そこは死者たちの世界であり、ふたりは死者に導かれるように一歩ずつ前進していく。
この映画では、三組の男女が見るそれぞれの風景を通して喪失の痛みや哀しみが伝わってくるのだ。 |