冷たい熱帯魚
Cold Fish


2010年/日本/カラー/146分/アメリカンヴィスタ/ドルビーSR
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(初出:Into the Wild 2.0 | 大場正明ブログ 2011年1月27日更新)

演じることが不可能な極限まで
追い詰められた男がむきだしにするもの

 家族の不和を抱えつつ、小さな熱帯魚店を営む主人公・社本が、同業者で人の良さそうな村田と知り合ったことで、想像を絶する破滅的な世界に引きずり込まれていく。

 園子温監督の『冷たい熱帯魚』は、『紀子の食卓』や『愛のむきだし』で突き詰められてきた家族の世界にひとつの区切りをつける作品といえる。

 筆者が『紀子の食卓』公開時に園監督にインタビューしたとき、彼は“家族”についてこのように語っていた。

日本では、伝統的な家族の在り方というものが、古くからあるように見せかけているけれども、本当はないと思うんですよ。それがあるのなら、いつから崩壊 したのか逆に問いただしたい。そんな曖昧さのなかで、幸せな家族の在り方があると信じ込み、家族を形成していくことの危うさを表現したかった

僕は、家族がちょっとしたことで殺し合うような最近のニュースを見ると、なんでそんなに簡単に家族関係が崩壊してしまうのかよくわかる。ありもしない伝統的な家族を作ろうとして、一生懸命やった末に壊れるのだと思いますね

 確かに、伝統的な家族というのは、いまではかなり怪しいものになっている。園監督の言葉で筆者が思い出すのは、ステファニー・クーンツが書いた『家族とい う神話―アメリカン・ファミリーの夢と現実』の第二章「ビーバーちゃん」と「オジーとハリエット」――一九五〇年 代のアメリカの家族のことだ。

 本書が出版されたのは1992年だが、クーンツによれば、アメリカでリベラル派と保守派が家族政策について意見を戦わせるときには、50年代のホームドラマに描かれた家族が基準になっているという。

リベラル派は、「ビーバーちゃん」タイプの家族は絶滅に向かって減少しつつあり、もはやこの流れをくい止めることは不可能だと証明しない限り、新しい家 族の定義や社会政策をうちだすことはできないと考えているようである。一方保守派は、共働き家族とひとり親家庭を優遇する政策によって危機にさらされなが ら、伝統的家族がいまだ健在であることを示すことができれば、多くの人々に比較的安定した結婚生活や男女の性別役割分業、家庭生活を連想させる一九五〇年 代のあの表面的平穏と繁栄を復活させるための政策を立法化できると信じている。つまり、どちらの側にしても、一九五〇年代の家族が今日存在していたなら ば、現代社会のジレンマはなかったという前提に立っているのである


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   園子温
脚本 高橋ヨシキ
撮影 木村信也
編集 伊藤潤一
音楽 原田智英
 
◆キャスト◆
 
社本信行   吹越満
村田幸雄 でんでん
村田愛子 黒沢あすか
社本妙子 神楽坂恵
社本美津子 梶原ひかり
筒井高康 渡辺哲
-
(配給:日活)
 
 
 

 50年代の家族が“伝統的家族”というのは滑稽だ。拙著『サバービアの憂鬱』で 掘り下げたように、その家族のイメージは、戦後の住宅不足を解消するための政策、テレビの普及、大量消費のためのパッケージ化されたライフスタイル、様々 な問題を抱える都市からの逃避、冷戦や水爆の脅威からの逃避などの要素が絡み合って、外部から作り上げられたものだったからだ。人々はそんなイメージにあ わせて幸福を演じていた。

 それは日本にも当てはめることができる。園監督は、均質化し流動化する社会のなかで、基盤もなく不安定な共同生活を送る家族というものに揺さぶりをかける。彼が描く家族は単純に崩壊に向かうことはない。

 『紀子の食卓』では、紀子とユカが実家を飛び出し、クミコが仕切るレンタル家族のメンバーになる。その結果、現実のなかで幸福を装う空洞化した家族と虚構 のなかで幸福を演じる家族が激しくせめぎあうことになる。だが、どちらに転んでも彼らは家族を演じ続けざるをえない。ユカはこの図式から抜け出すようにも 見えるが、未来はわからない。

 『愛のむきだし』と『冷たい熱帯魚』では、まったく対照的な視点と表現で、出口が示される。いや、より正確には、もはや家族を演じる必要がない、あるいは演じることが通用しない次元というべきだろう。

 『愛のむきだし』では、それぞれにトラウマを抱えた主人公たちが家族を演じる。演じているからコイケにつけこまれ、新興宗教に引き込まれる。洗脳された彼 らは、トラウマから解放されたようにまた家族を演じる。だが、ユウとヨーコは、むきだしになった愛の力で演じる必要のない世界に到達する。

 『冷たい熱帯魚』の主人公・社本と妻や娘との間には溝があるが、彼はどうすることもできずに日々を過ごしている。だから村田につけこまれ、凶悪な犯罪の世界に引きずり込まれる。妻と娘を人質にとられた彼は、犯罪に加担し、夫や父親を演じ続けなければならない。

 『愛のむきだし』のコイケはユウに屈折した愛情を抱いていたが、この映画に登場する凶暴な欲望の権化・村田にとって、社本は交換可能な消耗品に過ぎない。怪物は社本をどこまでもむさぼる。そして、演じることが不可能な極限まで追い詰められた社本の人間がむきだしになる。

《参照/引用文献》
『家族とい う神話―アメリカン・ファミリーの夢と現実』ステファニー・クーンツ
(岡村ひとみ訳/筑摩書房/1998年)

(upload:2011/11/19)
 
《関連リンク》
園子温インタビュー 『紀子の食卓』 ■
園子温 『ちゃんと伝える』 レビュー ■
園子温 『希望の国』 レビュー ■

 
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