この映画には、「われわれが呼んだのは労働者だったが、やってきたのは人間だった」というマックス・フリッシュの言葉が引用されている。ドイツでは外国人労働者はガストアルバイター≠ニ呼ばれていた。ガストは客人を意味するが、トルコ系の人々は定住していった。そして不況が訪れれば軋轢も生じる。実際、ドイツでは70年代末から80年代にかけて外国人排斥運動が高まりを見せた。
「私が十代の頃に、ドイツの政治的、経済的な状況が変わり、外国人労働者やその家族、次の世代に対する姿勢とか扱い方が緊張感を帯びるようになりました。その頃、私はドイツで受け入れられてないのではないかと思うことがありました。本当はそこで育つべきではないのに育ってしまったという意識を持たざるをえないような状況でした。そして受け入れられていないとそれに反発する心が芽生えてきます。それは決して幸せな状況ではありませんでした。でも、もっと大人になって家族の物語を知り、さらに家族という小さな世界からトルコ社会全体でこれまで積み重ねられてきた歴史を知るにつれて、ドイツ人がどう思っているかは重要ではなく、私たちの祖父の世代がなにを成し遂げたか、家族のために働き、これだけのものを達成し、それに相応しい権利を手に入れたことがすごく大事なのだと認識するようになりました。それで、自分がドイツ社会の一員であることは紛れもない事実であって、それも含めていまのドイツ社会があるのだという意識を強く持てるようになったのです。ドイツ政府や教育に携わる人たちは、若い世代に自分が社会の一員であることは当然のことなのだという気持ちを与える必要があります。そういう気持ちを持てることがなによりも重要なのだと私は思います」
そして最後に、若きフセインがドイツに入国する映画の冒頭の場面を振り返っておきたい。それは、移民の総数が歴史的な頂点に達する日にあたっていて、フセインは列に並ぶときに鉢合わせした人物に順番を譲った結果、100万1人目の移民労働者になる。脚光を浴びることになった100万人目の人物の名前は、アルマンド・ロドリゲスで、トルコ人ではない。この場面は、トルコ人に限らないたくさんの物語がそこにあり、そのひとつがこれから語られることを巧みに示唆している。
「まさに私たちがとても大切に考えているのは一人一人の物語を語るということです。たとえばいま難民というと、ひとくくりに難民として扱われてしまうことが多いと思います。もはや個人として扱われることがありません。本当はその人にはその人の歴史と物語があって、アフリカのある特定の地域からやって来て、こういう言葉を話し、こういう体験をしてきた人が難民申請をしているのに、アフリカの難民としてひとくくりにされてしまう。それは彼らにとって非常に傷つくことだと思います。同じようにトルコ人の移民たちもトルコから来た外国人労働者という枠でくくられてしまえば、とても傷つきます。そうではなくそれぞれに物語があるということを主観的に描きたいと思い、たくさんの物語のひとつとしてこの家族を取り上げ、彼らの物語を描いたのです」 |