■■トルコ系移民家族像偏見の払拭■■
この映画は、構想から完成までに10年が費やされている。なぜそこまで時間がかかってしまったのだろうか。
「ドイツで劇場用映画を作る場合には、テレビ局と配給会社がパートナーになって、それが獲得できた段階で公的助成金が出るというパターンが一般的です。私たちは何年もかけていろいろなテレビ局に企画を持ち込んだのですが、断られるばかりで、これだけ時間がかかってしまいました。テーマよりもコメディであることが、なかなか受け入れてもらえませんでした。移民やドイツに住むトルコ系の話というと、どうしても劇的で深刻なドラマを期待されてしまうようで。たとえば、できちゃった結婚をしたいと言いだした娘が、家族全員の名誉を汚した者として殺されてしまう名誉の殺人≠フような題材であれば、すぐに受け入れられ、これだけの時間の間に3本くらい作品が撮れたかもしれません」
この理由は意外だった。普通に考えるなら、シリアスなドラマよりもコメディの方が受け入れられやすいように思えるのだが。
「ドイツでも同じですよ。他のテーマであれば、間違いなくコメディの方が受け入れられたはずです。でも、これまでずっとトルコ系移民をテーマにした映画といえば、人間ドラマや社会派ドラマというのが当たり前で、完全なステレオタイプになっていたんです。そういう偏見があったからなかなか受け入れられなかった。私と妹が目指していたのは、まさにそういう偏見を払拭することだったのです。たとえば、ジャーナリストのなかには、あなたはトルコ系の家庭に生まれた女性なのだから、抑圧された女性をテーマにしたものを撮るべきだと言う人もいました。でも、それをドイツ人に置き換えてみて、あなたはドイツ人なのだからナチスをテーマにした作品を撮らなければいけないなんて誰も言わないでしょう」
たとえば、ファティ・アキン監督の『愛より強く』に登場する23歳のヒロインは、自分を抑圧する家族から逃れようと自殺未遂を装ってクリニックに紛れ込み、確実に家を出るために偽装結婚という手段を選ぶ。ヤセミンは、そうした家族像や女性像を踏まえたうえで、22歳の孫娘チャナンを描いているように思える。なぜなら、彼女が内緒でイギリス人と付き合い、妊娠した事実を家族がどのように受け入れていくのかが、ひとつの見所になっているからだ。
「これは私が十代の頃のことですが、周囲からトルコ人の父親というのはみんな厳しくて、特に女性に対しては支配的で、権利を認めないのが当たり前なのでしょ、みたいに言われるのがすごく嫌でした。私の家族や私が知る他の家族はみな寛容でオープンでした。でも、うちの父親は違うと言っても信じてもらえない。トルコ人の男性はすべて厳しくて抑圧的だと思い込んでいるのです。確かに、名誉の殺人のような悲劇的な事件も実際に起こってはいるのですが、大半のトルコ系の家庭の現実を表わしているものではありません。それなのにトルコ人の家庭がみなそうだと思われてしまうことがすごく傷つく。普通の幸せな家庭もたくさんあるのを見せたいという思いがあり、こういうハッピーなコメディを作ることにしたのです」===>
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