ジョン・キャメロン・ミッチェル・インタビュー
Interview with John Cameron Mitchell


2001年 東京
ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ/Hedwig and the Angry Inch――2001年/アメリカ/カラー/92分/ヴィスタ/ドルビーデジタルSDDS・DTS
line

【PAGE-3】

 

 

BACK

 

――実はあなたの映画における表層やアメリカ的なイコンと内面のコントラスに、アルトマンを連想させるところがあって、彼のことを次に尋ねようとしていたんです。

「アルトマンが凄いのは、彼の世界観をとても自然なかたちで映画に盛り込んでしまうところだ。私は彼の頭のなかにある世界観はもっとずっとペシミスティックなものだと思う。しかし彼は、一風変わった登場人物たちが、成り行きまかせに反応しあいながら、激しく動きまわるような描き方をする。それが実にユニークでパワフルなんだ。おそらく私に最も大きな影響を及ぼしている監督というのは、リアリティをまったく損なうことなく、自然なかたちでおとぎ話を描ける監督だと思う。たとえば『ハロルドとモード』『シャンプー』『チャンス』などを監督したハル・アシュビーとか。そして私のもうひとりのアイドルがジョン・カサヴェテスだ。彼の映画のキャラクターはみんな大好きだ」

――『ヘドウィグ〜』のステージは、ウィッグのかぶりものをつけた熱狂的なファン“ヘドヘッド”を生み出しましたが、あのウィッグは何を象徴していると思いますか。

「ウィッグのかたちそのものは、戦いの場とか悲運を象徴していると思う。ヘドウィグはそれを称える。あのウィッグをつければ、誰もがヘドウィグになれ、誰もがアングリーインチを持つことができるということだ」

――ヘドウィグはその1インチゆえに、カテゴライズができない特異な存在となります。この1インチはセクシュアリティを単純にカテゴライズすることに対する反発の意味が込められているように思えるのですが。

「ジェンダーやセクシュアリティ、愛、セックスというのは、非常に排他的にもなりえるし、相互に複雑に入り混じっているものでもあるので、単純にカテゴライズされることを拒否するものだと思う。誰もが自分にレッテルをはりたがり、それで自分を肯定することができるので、若いときにはそれがある方が楽なのかもしれない。でも最終的に自分が持っているレッテルというのは、わたしはわたしである、わたしは唯一の存在であるということしかない。ヘドウィグは映画の最後でそのことに目覚めていく。彼女がやっているのは、これまで自分につけてきたレッテルをすべて取り外していくことだと思う」

 


――女優のミリアム・ショアがヘドウィグの夫イツハクという男を演じ、かつ女装に憧れているという設定も、単純化されたセクシュアリティに揺さぶりをかける狙いがある。

「その通り」

――アメリカに渡ったヘドウィグは、兵士と結婚した韓国人女性たちとバンドを組みますが、これも多様な価値観を盛り込もうとしたということですか。

「少年時代に基地の町で暮らしていたとき、そこには、自分たちの故郷から逃げ出すために兵士と結婚したたくさんの女たちがいた。たまたまその時にいた軍隊では、ほとんどがドイツ人と韓国人だった。それで私はこのバンドのアイデアを思いついた。彼女たちはみんな亡命者であって、それぞれがヘドウィグだった。そんな韓国人の妻たちのエネルギーを盛り込もうと思ったんだ」

――ヘドウィグは自力で壁を越え、アメリカで壁が崩壊したニュースを目の当たりにします。人々は冷戦が終われば、何か新しい世界が始まるという期待感を持っていたはずですが、実質的に壁を壊したのは自由主義経済の力であって、いまではグローバリズムによる画一化のなかで空虚さを感じている人が少なくありません。そういう意味で、肉体に1インチという冷戦の傷を抱えたヘドウィグの戦いは、ポスト冷戦の時代に空虚さを感じている人々を魅了するのだと思うのですが。

「多くの人々は、自分が対立したり抵抗しているものによって、自分が何者であるのかを明確にする。ところが、グローバリズムに異議を唱えようとする人には、反対するための標的もないし、公正や正義を反映する確かなものもない。だから満たされない。誰も世界経済がグローバル化するのを止めることができない。それが空虚なんだ。ドイツでは、以前は東側に暮らしていたたくさんの人々が『ヘドウィグ〜』に非常に心を動かされていた。そう、だから確かに、この物語にはそういうことを訴えかけている部分がある」

――『ヘドウィグ〜』には、トミーのロックスターのイメージに対して、ヘドウィグの巡業を通して、その背景にあるアメリカの日常を映しとろうとする意識があるように思うのですが、いかがですか。

「その通りだ。ヘドウィグはレストランのチェーン店で演奏をしている。だからどこに行っても何も変わらない。そこにはツアーをしていて私がどう感じているのかが反映されている。何も変わらない場所のなかで、ヘドウィグたちは周縁へと追いやられ、バンド全体が東側からの亡命者になっているんだ」

――最後に次回作が決まっているようでしたら、その内容について教えてください。

「子供の世界を描く物語の映画化に取りかかっている。「ピーターパン」とか「秘密の花園」のような、イギリスの古典に近い伝統的な物語で、それを現代的な視点でとらえたような作品になると思う」

 
【PAGE-3】

(upload:2013/02/02)
 
 
《関連リンク》
旧世界ヨーロッパと新世界アメリカの狭間で――『金色の嘘』、
『耳に残るは君の歌声』、『ヘドウィング・アンド・アングリーインチ』をめぐって
■
『ラビット・ホール』 レビュー ■
ゲイ・フィクションの枠を超えて広がる物語と世界
――『Toby’s Lie』、『Mysterious Skin』、『In Awe』をめぐって
■
ゲイをめぐるダブル・スタンダード
――歪んだ社会を浮き彫りにする小説とノンフィクションを読む
■
ホモセクシュアリティとカトリックの信仰――『司祭』と『月の瞳』 ■
ホモソーシャル、ホモセクシュアル、ホモフォビア
――『リバティーン』と『ブロークバック・マウンテン』をめぐって
■

 
 
amazon.co.jpへ●
 
ご意見はこちらへ master@crisscross.jp
 


copyright