ホーグ監督は、映画の撮影に入る前に、カミュの『異邦人』をライアン・ゴズリングに与え、主人公リーランドのキャラクターについて語り合ったという。『異邦人』の主人公ムルソーの世界観は、現代を生きる若者の感性を予見していたともいえるわけだが、この小説は、映画の内容や主人公のキャラクターにどのような影響を及ぼしているのだろうか。
「ムルソーとリーランドには多くの共通点があります。たとえば、どちらも感情を強く抑制しているために、肉体的な感覚が鋭敏になっている。ムルソーは、タオルの生地の感触や海水の味、太陽の光を敏感に感じる。同じようにリーランドも太陽の光に敏感に反応するし、誰かが部屋に入ってくると、その人物の匂いを鋭く嗅ぎとります。この小説でもうひとつ興味深いのは、何かを起こした人間の反応が、周囲の人々が期待していたものと違っていた場合に、人々がどう反応するかということに注目しているところです。ムルソーは罪を犯したから裁判にかけられるのですが、その裁判では、彼が自分の母親の死に際して、泣くというような普通の反応を見せなかったことが取り上げられ、裁かれます。アメリカでは、誰かが殺人を犯した場合、その人間の反応が、悲しみや後悔など人々の期待に沿うようにメディアで表現されないと、怒りや反感が生まれてきます。この映画では、そういうことを意識している。リーランドが完全に心を閉ざしているために、人々が違った反応をしなければならなくなるということです」
リーランドが送られる矯正施設で生活しているのは、ほとんどが黒人やヒスパニックの少年で、リーランドは特別な目で見られ、誰も近づこうとはしない。その溝からは、彼らが犯した犯罪や生活環境の違いが見えてくる。
「その通りで、リーランドはかなり特殊なケースです。私が実際に働いていた施設にいたのも、ほとんどが黒人やヒスパニックの少年たちでした。彼らが犯した犯罪は、ドラッグの売買や盗難、ギャングの抗争による殺人など、育った環境と結びつきがあり、その動機についてはつじつまがあっている。私はリーランドのような少年に実際に会ったわけではありませんが、ヒントになった体験はあります。施設には、殺してしまった母親の死体と二、三日過ごしていた少年とか、母親を五十回も刺して殺した少年がいて、他の少年たちは、彼らがなぜそんなことができるのか理解できず、ショックを受けていました。映画には、そういう体験が反映されています」
しかし、施設のなかで黒人のグループに属していたアフロヘアの少年は、リーランドが人種差別や貧困とは異なる絶望を背負っていることを感じとる。教官のパールもリーランドとの関係を通して救いを見出す。これに対して、リーランドの密かな心の支えであったカルデロン家や被害者の家族であるポラード家は、崩壊し、あるいは関係が揺らいでいく。
「私は、ひとつの事件が起こったことによる関係の変化、特に失われる関係よりも新たに生まれたり、再生される関係に強い関心を持っていました。普通であれば、家庭がそれに最も相応しい場所のはずですが、カルデロン家もポラード家もばらばらになり、リーランドと父親の関係も修復されません。一方で、リーランドは、施設という異質な世界に放り込まれ、アフロの少年とはまったく世界観が違うにもかかわらず、ふたりの間に何かが生まれる。パールもリーランドを利用しようとしていたのに、それが絆に変わっていく。そういう関係は、いつどこでも生まれる可能性があるはずです。ただ、家族というのは、ともするとこの関係の大切さを見失いがちになるところがあるように思います」 |