マシュー・ライアン・ホーグ・インタビュー
Interview with Matthew Ryan Hoge


2004年6月 渋谷 セルリアンタワー
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(初出:「キネマ旬報」2004年8月下旬号、若干の加筆)

 

 

モンスターとみなされた少年たちのもうひとつの物語

 

 マシュー・ライアン・ホーグ監督の『16歳の合衆国』の主人公リーランドは、ごく平凡な16歳の少年だったが、ある日突然、彼の恋人だったベッキーの弟で、障害を抱えるライアンを刺し殺してしまう。逮捕された彼は、矯正施設に送られるが、事件については何も語ろうとはしない。彼が口にするのはこんな言葉だ。「みんなが何を求めているかわかっている。彼らが求めているのは“理由”だ」。「世界の見方は二つある。背後に潜む“哀しみ”を見るか、すべてに目を閉ざすか」。

 監督のホーグは、矯正施設で2年間の教員生活を送り、その経験をもとにこの映画の脚本を執筆した。しかし、彼が主演のライアン・ゴズリングに、カリフォルニアで二人のクラスメートを射殺した15歳の少年チャールズ・アンドリュー・ウィリアムズの写真を渡したというエピソードもあるように、彼は映画のために、少年犯罪のリサーチも行っている。

「コロンバイン高校の事件については、この脚本を執筆していた頃に起きたので、非常に興味を持ちましたし、それに続いて起こったアンドリュー・ウィリアムズの事件や、オレゴン州で両親やクラスメートを射殺したキップ・キンケルの事件など、少年犯罪が起こるたびにできるだけフォローするようにしていました。キップ・キンケルについては、本人の告白を記録したテープの内容を目にする機会がありました。新聞などの報道では、彼のことがモンスターのように書かれていましたが、そのテープでは、ものすごく混乱していて、どうしていいのかわからなくなっている。親を殺してしまった、どうしてそんなことをしてしまったのか、もう死にたいと語っているんですね。そういうものを目にするたび、胸が痛くなる思いをしながら、リサーチをしていました」

 『16歳の合衆国』を観ながら筆者が思い出していたのは、ブルックス・ブラウンの『コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー』のことだった。銃乱射事件を起こした少年たちの友人だったブラウンが書いたこのノンフィクションには、こんな記述がある。「多くの人々は、自分の手を汚してまでコロンバインの背後にある本当の理由を究明したくないと思っている。本当の問題だったかもしれないことを受け入れるよりも、その場しのぎの解決を信じるほうが簡単だから」

 この映画には、ブラウンの言葉に通じる問題意識があるように思う。

「その本は読んでませんが、いま話を聞いただけでも、映画との共通点を感じます。アメリカで事件が報道されたときには、少年たちが学校でいじめにあい、孤立していたことなど、ダークサイドにはほとんど触れられませんでした。それを究明し、事件を起こした彼らが同情の対象になることを許さないような風潮があったからです。この事件を含めた少年犯罪に対する私たちの姿勢には、事件を異なる方向から見ることを恐れているところがあるように思えます。その少年たちにも人生があり、それがどういうものであったのかを知るのが怖い。なぜなら、彼らを凶悪で非人間的なものとしみなし、隔離して安全だと感じる方が簡単だからです。私はこの映画で、その少年たちのもうひとつの物語を描きたかった。彼らはモンスターではなく、彼らのなかには善があるかもしれない。もちろんそういう視点に立つことは、困難をともなうし、非常に危険ですらあるのですが、こうした題材を扱う場合には、避けて通るわけにはいかないものだと思います」


◆プロフィール◆
マシュー・ライアン・ホーグ
コロラド州生まれ。コロラドで育ち、南カリフォルニア大学入学。スクール・オブ・シネマで学士号を取得。在学中に執筆した脚本"Happy"は、大学から"最も傑出した脚本"に与えられるエイビラハム・ポロンスキー賞を獲得した。99年には、倉庫で一緒に住んでいた友人について描いたセルフ・コメディ"Self Storage"を自主製作、監督、脚本、編集、出演を兼任した。その後、ロサンジェルスの矯正施設で2年間の教員生活を送り、その経験から本作の脚本を執筆。ケヴィン・スペイシーに認められて、スペイシーの製作プロダクションであるトリガー・ストリートで製作、商業監督デビューとなった。
(『16歳の合衆国』プレスより引用)

 

 

 
 


 ホーグ監督は、映画の撮影に入る前に、カミュの『異邦人』をライアン・ゴズリングに与え、主人公リーランドのキャラクターについて語り合ったという。『異邦人』の主人公ムルソーの世界観は、現代を生きる若者の感性を予見していたともいえるわけだが、この小説は、映画の内容や主人公のキャラクターにどのような影響を及ぼしているのだろうか。

「ムルソーとリーランドには多くの共通点があります。たとえば、どちらも感情を強く抑制しているために、肉体的な感覚が鋭敏になっている。ムルソーは、タオルの生地の感触や海水の味、太陽の光を敏感に感じる。同じようにリーランドも太陽の光に敏感に反応するし、誰かが部屋に入ってくると、その人物の匂いを鋭く嗅ぎとります。この小説でもうひとつ興味深いのは、何かを起こした人間の反応が、周囲の人々が期待していたものと違っていた場合に、人々がどう反応するかということに注目しているところです。ムルソーは罪を犯したから裁判にかけられるのですが、その裁判では、彼が自分の母親の死に際して、泣くというような普通の反応を見せなかったことが取り上げられ、裁かれます。アメリカでは、誰かが殺人を犯した場合、その人間の反応が、悲しみや後悔など人々の期待に沿うようにメディアで表現されないと、怒りや反感が生まれてきます。この映画では、そういうことを意識している。リーランドが完全に心を閉ざしているために、人々が違った反応をしなければならなくなるということです」

 リーランドが送られる矯正施設で生活しているのは、ほとんどが黒人やヒスパニックの少年で、リーランドは特別な目で見られ、誰も近づこうとはしない。その溝からは、彼らが犯した犯罪や生活環境の違いが見えてくる。

「その通りで、リーランドはかなり特殊なケースです。私が実際に働いていた施設にいたのも、ほとんどが黒人やヒスパニックの少年たちでした。彼らが犯した犯罪は、ドラッグの売買や盗難、ギャングの抗争による殺人など、育った環境と結びつきがあり、その動機についてはつじつまがあっている。私はリーランドのような少年に実際に会ったわけではありませんが、ヒントになった体験はあります。施設には、殺してしまった母親の死体と二、三日過ごしていた少年とか、母親を五十回も刺して殺した少年がいて、他の少年たちは、彼らがなぜそんなことができるのか理解できず、ショックを受けていました。映画には、そういう体験が反映されています」

 しかし、施設のなかで黒人のグループに属していたアフロヘアの少年は、リーランドが人種差別や貧困とは異なる絶望を背負っていることを感じとる。教官のパールもリーランドとの関係を通して救いを見出す。これに対して、リーランドの密かな心の支えであったカルデロン家や被害者の家族であるポラード家は、崩壊し、あるいは関係が揺らいでいく。

「私は、ひとつの事件が起こったことによる関係の変化、特に失われる関係よりも新たに生まれたり、再生される関係に強い関心を持っていました。普通であれば、家庭がそれに最も相応しい場所のはずですが、カルデロン家もポラード家もばらばらになり、リーランドと父親の関係も修復されません。一方で、リーランドは、施設という異質な世界に放り込まれ、アフロの少年とはまったく世界観が違うにもかかわらず、ふたりの間に何かが生まれる。パールもリーランドを利用しようとしていたのに、それが絆に変わっていく。そういう関係は、いつどこでも生まれる可能性があるはずです。ただ、家族というのは、ともするとこの関係の大切さを見失いがちになるところがあるように思います」

《参照/引用文献》
『コロンバイン・ハイスクール・ダイアリーズ』
ブルックス・ブラウン、ロブ・メリット●

西本美由紀訳(太田出版、2004年)

(upload:2006/05/27)
 
 
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