ニルス・ミュラー・インタビュー

2005年 4月 新宿 パークハイアット東京

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(初出:「CD Journal」2005年6月号、加筆)
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『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』あるいは、アメリカの夢とテレビに囚われた男

 ニルス・ミュラー監督の長編デビュー作『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』は、70年代に起こった実話に基づいている。主人公は、アメリカの夢を追い求めるセールスマンのサム・ビック。彼は、独立して成功を収め、別居中の妻子を取り戻そうと奮闘するが、その努力はまったく報われない。

 テレビを見れば、毎日のようにウォーターゲート事件のニュースが流れ、ニクソンが声明を読み上げている。孤立する彼の頭のなかでは、そのニクソンが、アメリカの夢を踏みにじる許しがたい存在になっていく。そして彼は、民間機をハイジャックしてホワイトハウスに墜落させるという暗殺計画を立てるが…。

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――サム・ビックという人物は、この映画に描かれているようにアメリカの夢に執着を持っていたと聞いています。また、あなたが、このサム・ビックの存在を知る以前に書いていたフィクションの脚本"The Assassination of L.B.J."の主人公もまたアメリカの夢に執着を持っているという設定になっていたと聞いています。実在のサムがそれほどアメリカの夢に執着した理由というのは明らかになっているのでしょうか? また、あなたはなぜフィクションの脚本の主人公を、アメリカの夢に執着する人物にしたのでしょうか? あなた自身も、単なる成功ではなく、アメリカの夢を強く意識しているように思えるのですが。

「サムがテープを送るのは、映画では(レナード・)バースタインだけですが、実際にはもっといろいろテープを残していて、そのなかに繰り返しアメリカの夢という言葉が出てくるので、彼がアメリカの夢に執着を持っていたのは事実です。アメリカの夢は、もちろん成功に置き換えられないこともありませんが、この言葉には、自立した人間(self made man)という意味があります。会社で成功してもしょうがない、自分で始めたことで成功しなければということです。私の父親はドイツからの移民で、やっぱり男は独立しなけりゃみたいなことをよく口にしていました。ただもちろん、すべての人間が独立してしまったら、世の中が成り立たないわけで、当然のことながら落伍者が出てきます。この映画では、そんな落伍者など気にせず、とにかく自分だけ頑張って、独立しようとする生き様を描いているので、アメリカの夢という言葉をかなり意識して使っています」


◆プロフィール◆

ニルス・ミュラー
アメリカのウィスコンシン州ミルウォーキー出身。タフツ大学で学士号を得た後、UCLAの映画学科で映画作りを学び、博士号を獲得した。2002年に脚本家のひとりとして参加した作品に"Tadpole"があり、これはシガニー・ウィーバー演じる義理の母親に恋をする15歳の少年を描いたコメディタッチの物語で、ゲイリー・ウィニックが監督した。他に脚本を手がけた作品としては"Sweet Nothing"がある。今回の映画は99年の製作発表時からすでにショーン・ペンが主演することが決まっていたが、資金面等で製作準備が難航し、完成にこぎつけるまでに5年の歳月をかけた。本作は2004年のカンヌ映画祭の「ある視点」部門に正式出品され大きな反響を呼んだあと、トロント国際映画祭やAFIロサンゼルス国際映画祭でも特別上映された。

(『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』プレスより引用)

 

 
 
 


――サムがアメリカの夢に執着するようになった原因というのはわかっているのでしょうか?

「テープのなかではっきりと語ってはいませんが、行間から理解できると思います。彼の兄は成功者、少なくとも彼の目から見れば成功者でした。アメリカでは非常に個人というものを重視する。だから、たとえば祖父がいて、父親がいて、自分がいるといったときに、それぞれが個人として存在し、個人として成功しなければ意味がないと当たり前のように考えたりするんですね。それから、この映画では、テレビでニクソンが語る映像を使っていますが、彼は、世界一の国であるアメリカという言い方をしていて、国全体に一番でなければならないという空気が蔓延している。それでは、個人として一番になるとはどういうことなのかといえば、独立することであって、それがアメリカの夢になるのです」

――社会学者のトッド・ギトリンは、『アメリカの文化戦争』という著書のなかで、アメリカの夢とも絡めながら、アメリカ人の国民性をこのように表現しています。「そもそも自己の帰属性や価値について自信が持てなくなった時、不安に駆られるのは自然な反応であるが、中でもアメリカ人は認められること、排除されることを恐れること、帰属意識をもつこと、自分が価値ある人間だと自覚することに誰よりも敏感な国民である」。サムのドラマには、そういう性質が浮き彫りになっているように思えるのですが、あなたは、ギトリンの視点とサムに繋がりを感じますか?

「正直なところ私は、この社会学者が主張しているようなかたちでのカテゴリー化には抵抗があります。ですから、私としては、あくまでサムという個人の資質だったという見方をしたいと思います。但し、アメリカという国のなかでは、成功がお金をどれだけ持っているかということで計られる。お金があるかないかでその人の価値が決まるような見方をされていることも事実です。この映画のなかで、サムは成功したくて一生懸命あがいていて、その成功とは要するに経済的な価値ということになる。そういう意味では、この社会学者が主張していることは間違いではない。ただ、それでも、しつこくこだわりますけど、おそらくこの人が言わんとしているのは、アメリカが非常に若い国であることを踏まえた上でのアイデンティティのようなことで、それはアメリカだけに限ったことではないと思います。たとえば、いまの中国を見ればわかるでしょう。中国では、自分の価値をどう位置づけていいかわからない人々が、ひとりの指導者がこっちだというとみんなそっちに走っていって、何とかそこで自己を確立しようとしている。まあ、アメリカというのは、そういうことをずっとやってきた国なわけですが」

――この映画は、70年代の出来事を扱っていますが、そこに至るまでのそれ以前のアメリカ、及びそれ以後のアメリカと深い繋がりを持っているように思います。そこでまず、それ以前のアメリカとの繋がりについてお尋ねします。あなたはプレス資料のインタビューのなかで、ケネディ暗殺からニクソン失脚に至る10年間に関心があると語っていますが、どうしてその時代に関心を持たれたのでしょうか?

「アメリカのシステムがショックを受けた10年間という見方もされているし、アメリカがイノセンスをなくした時代というようにも言われている。ケネディが暗殺され、キング牧師が暗殺され、ロバート・ケネディが殺され、政治の指導者への信頼が失われた。その10年に引かれるのは、アメリカが政治的にも経済的にも揺らぎ、様々な変動があったからです。サムの物語というのは、妻と子供を取り戻そうとする男のあがきに過ぎない。それはとても小さな物語ですが、その裏にはとても豊かな歴史的背景がある。個人の生活には、社会が投影されている。自分というものを見るときに、必ずその背景にあるものを鏡に映して見ているわけで、時代が変動すれば、自分も動揺してしまう。そんなふうに思っているので、この10年に関心を持つのです」===> 2ページへ続く


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