わたしは生きていける
How I Live Now


2013年/イギリス/カラー/101分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:)

 

 

危機的な状況を乗り越えサバイバルするだけでは
イニシエーションという決定的な時間と空間は切り拓かれない

 

[ストーリー] ニューヨークから単身イギリスにやってきた孤独な少女デイジーの心は荒みきっていた。生まれたときに母親を亡くし、愛を知らずに育った彼女は、見知らぬ3人の従兄弟とひと夏を過ごすため、憂鬱な気分でこの異国の地を踏んだのだ。しかし大都会の喧騒とはかけ離れ、美しい自然や動物に囲まれたカントリーハウスでの生活は、少しずつデイジーの頑なな心を溶かしていく。

 そんなある日、首都ロンドンが反体制テログループに襲撃され、何万人もの市民の命が一瞬にして奪われる核爆発が発生。第三次世界大戦勃発に伴う戒厳令がしかれるなか、デイジーは従兄弟の長兄エディと恋に落ちるが、突如現れた軍に拘束されたふたりは離ればなれになってしまう。残されたエディの幼い妹パイパーを守りながら、移住先を脱走するデイジー。彼女はエディとの再会の約束を果たすことができるのか。[プレスより]

 ケヴィン・マクドナルド監督(『ラストキング・オブ・スコットランド』『消されたヘッドライン』)が、メグ・ローゾフの同名小説を映画化した『わたしは生きていける』は、青春映画であって、戦争映画ではない。

 確かに戦争は起こるが、描き出されるのはあくまでヒロインのデイジーや彼女の従兄弟たちの目に映る戦争であって、リアリズムのそれとは違う。ロンドン、あるいはイギリス、アメリカの状況も定かではないし、善と悪、敵と味方も必ずしも明確ではない。デイジーの意識には、戦争以前からある種の洗脳が作用している。核爆発によって降り注ぐ灰も幻想的に見える。

 そんな混沌とした状況であるからこそ、デイジーが心から信じられる人間は限られ、青春映画としての枠組みを作り上げていくことになる。

 さらに、ジョン・ホプキンスのサウンドトラックの効果も大きい。デイジーがイギリスの地方で見出す豊かな自然を意識した繊細で透明感のあるサウンドスケープが基調となり、主人公たちを包み込んでいく。

 そうした視点や要素はこの映画の大きな魅力になっているが、ストーリーは筆者には物足りない。少女のサバイバルの物語であれば、イニシエーション(通過儀礼)が不可欠になるし、この映画の場合には条件が十分に整っているにもかかわらず、それがはっきりと描き出されていない。

 たとえば、ベン・ザイトリン監督の『ハッシュパピー バスタブ島の少女』と比較してみると、イニシエーションをめぐるヴィジョンの違いが明確になる。


◆スタッフ◆
 
監督   ケヴィン・マクドナルド
Kevin Macdonald
脚本 ジェレミー・ブロック、ペネロペ・スキナー、トニー・グリゾーニ
Jeremy Brock, Penelope Skinner, Tony Grisoni
原作 メグ・ローゾフ
Meg Rosoff
撮影 フランツ・ルスティヒ
Franz Lustig
編集 ジンクス・ゴッドフリー
Jinx Godfrey
音楽 ジョン・ホプキンス
Jon Hopkins
 
◆キャスト◆
 
デイジー   シアーシャ・ローナン
Saoirse Ronan
エディ ジョージ・マッケイ
George MacKay
アイザック トム・ホランド
Tom Holland
パイパー ハーリー・バード
Harley Bird
ペンおばさん アンナ・チャンセラー
Anna Chancellor
-
(配給:ブロードメディア・スタジオ)
 

 『ハッシュパピー〜』では、6歳の少女ハッシュパピーの目に映る世界が描かれ、彼女は地球温暖化などによって自然界の秩序が崩れていく状況のなかでサバイバルを余儀なくされていく。しかし、サバイバル=イニシエーションではない。サバイバルのなかで、特別な時間と空間が切り拓かれるのだ。

 ハッシュパピーは、唯一の家族である父親が重い病で死にかけていると知ったとき、不在の母親がいると信じる場所に向かって泳ぎだす。そして、海の彼方の他界における象徴的な死者との交感を通して強靭な生命力を獲得する。

 『わたしは生きていける』のデイジーは、エディとの約束を果たすために何度となく危機的な状況を乗り越えるが、彼女の人格が変身・変容するような決定的な時間と空間が切り拓かれることはない。彼女が生まれるときに亡くなった母親の存在が、なんらかのかたちでもっと生かされてもよかったのではないだろうか。

※ 現代におけるイニシエーションについて、鎌田東二の『呪殺・魔境論』では以下のように説明されてる。「子どもが大人になるということ、そして一個の人格が理想的な形態に向上・成長し、変身・変容していくことについて、戦後社会は完全にモデルと方法を喪失し、“イニシエーションなき社会”になってしまったのだ

※ さらに、河合隼雄総編集の『心理療法とイニシエーション』でも以下のように説明されています。「制度としてのイニシエーションは、近代社会において消滅した。(中略)言うなれば、各人はそれぞれのイニシエーションを自前で自作自演しなくてはならなくなった

《参照/引用文献》
『講座心理療法第1巻 心理療法とイニシエーション』●
河合隼雄総編集(岩波書店、2000年)
『呪殺・魔境論』●
鎌田東二(集英社、2004年)

(upload:2014/09/09)
 
 
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