ウィークエンド・ウィズ・マイ・マザー(英題)
Weekend cu mama / Weekend with My Mother  Weekend cu mama
(2009) on IMDb


2009年/ルーマニア/カラー/87分
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(初出:)

 

 

親に見放された子供と人間関係が分断された社会

 

 ステレ・グレア監督の『ウィークエンド・ウィズ・マイ・マザー(英題)/Weekend cu mama』(09)のヒロイン、ルイザは、15年前に人生をリセットして仕事を得るために、3歳の娘クリスティーナを姉夫婦に預け、ルーマニアからスペインに渡った。安定した生活を手にし、ルーマニアに戻ってきた彼女は、クリスティーナが家出し、麻薬中毒になっていることを知る。自分の責任を痛感したルイザは、なんとかクリスティーナに救いの手を差し伸べようとするが、娘はさらに深刻な問題に巻き込まれていく。

 ルーマニアでは、スペインやイタリアなどに出稼ぎに出る親と残された子供の間に生じる溝が、様々な悲劇を生み出している。その背景については、TVドキュメンタリー『ホーム・アローン ルーマニアの悲劇(原題)』(10)で触れた。

 この『ウィークエンド・ウィズ・マイ・マザー(英題)』は、その翌年に発表されたフローリン・サーバン監督の『俺の笛を聞け』(10)と対比してみると興味深い。どちらの作品も同じ社会問題を物語の出発点にしているが、ベテラン監督のグレアとニューウェーブのサーバンではまったくアプローチやスタイルが違う。サーバンは、社会的な背景に関する説明などは一切盛り込まず、手持ちカメラで主人公に迫り、その複雑な内面を浮き彫りにすることで、描かれない背景を私たちに想像させる。

 これに対してグレアの本作は、キャラクターやエピソードなどかなり緻密な脚本を土台にしている。たとえば、ルイザのかつての夫、クリスティーナの父親であるフェリックスの存在だ。ルイザは、家出した娘の所在を突き止めるために、いまでは教授に出世しているフェリックスに会いにいく。彼は娘の行方を知らないが、別の意味で彼女に関心を持っている。彼は、海外出稼ぎ労働者となった親の不在が子供に与える影響を題材にした本を執筆していたからだ。娘をほったらかして、よくそんな研究ができるものだと思いたくなるが、彼は子供の面倒を見るのは母親の義務という前提にたって、娘も研究の対象として見ているのだ。当然、このような設定は、社会的な背景を説明する役割も果たしている。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ステレ・グレア
Stere Gulea
脚本 Vera Ion
撮影 Marius Panduru
編集 Alexandra Gulea
音楽 Jeremy Adelman
 
◆キャスト◆
 
Luiza   Medeea Marinescu
Cristina Adela Popescu
Glont Tudor Istodor
Sandu Ion Sapdaru
Costica Constantin Ghenescu
Grandfather Gheorghe Dinica
Johnny Andi Vasluianu
Elena Ecaterina Nazare
Andreea Nicoleta Costache Laura
Felix Florin Zamfirescu
Edwards Razvan Vasilescu
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(配給:)
 

 他にもドラマからは複雑な人間関係が浮かび上がる。クリスティーナの面倒をみてくれているはずだった姉エレーナは、卒中で倒れ、介護が必要な身になっている。ルイザは見つけ出した娘を連れて、田舎に暮らす父親に会いに行くが、父親とルイザの間には深い溝がある。さらに、エレーナの夫である義兄が、娘を虐待し、深く傷つけていたことにも気づく。一方、母親に救われたかに見えたクリスティーナは、麻薬の売人である恋人の軽率な行動が原因で、トラブルに巻き込まれていく。

 そんなドラマからは、出発点とは異なるテーマが浮かび上がってくる。筆者がまず思い出したのは、クリスティアン・ムンジウ監督の『汚れなき祈り』(12)のことだ。実話に基づくこの映画は、修道院という特殊な世界だけを描いているだけではない。ふたりのヒロインは、修道院の外にある社会のなかで救いの手を差し伸べられてもおかしくはなかった。ところがその社会の基盤となる人と人の関係がずたずたに分断され、誰も彼女たちに関心を払わない。だから居場所のない彼女たちは、修道院のなかで追い詰められる。

 同じことがこの映画にもいえる。ルイザとクリスティーナは、人間関係がずたずたに分断された社会のなかで、追い詰められる。政治学者ジョゼフ・ロスチャイルドの『現代東欧史』には、革命以後のルーマニアについて以下のような記述がある。

権力の集中と特権の構造はチャウシェスクの没落ののちまでしぶとく生き延びた。強制、恐怖、疑惑、不信、離反、分断、超民族主義といった政治文化がルーマニアで克服されるまでには長い時間が必要である。結局のところこうした文化は、半世紀にもおよぶ共産主義支配によってさらに強化される前から、すでにルーマニアの伝統となっていたからである

 この映画から浮かび上がる社会は、そんな政治文化と無関係ではないだろう。

《参照/引用文献》
『現代東欧史 多様性への回帰』ジョゼフ・ロスチャイルド●
羽場久ミ(さんずいに尾)子・水谷驍訳(共同通信社、1999年)

(upload:2014/07/19)
 
 
《関連リンク》
『ホーム・アローン ルーマニアの悲劇(原題)』 レビュー ■
フローリン・サーバン 『俺の笛を聞け』 レビュー ■
カリン・ペーター・ネッツアー 『私の、息子』 レビュー ■
クリスティアン・ムンジウ 『汚れなき祈り』 レビュー ■
クリスティアン・ムンジウ 『4ヶ月、3週と2日』 レビュー ■
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