[ストーリー] 62歳の引退した技師ラザレスクは、ブカレストにある古くて汚れたアパートに3匹の猫と暮らしている。彼の妻は8年前に癌で他界し、一人娘は結婚してカナダのトロントで暮らしている。彼には姉がいるが、姉夫婦が暮らしているのは遠く離れたトランシルヴァニアだ。
ある土曜日の朝、ラザレスクは激しい頭痛で目覚める。家にある薬を飲んでもよくならないため、夕方に救急車を呼ぶ。だが、なかなかやってこないため、向かいに住む夫婦に助けを求める。夫婦に別の薬をもらったものの、体調はさらに悪化し、血を吐いてしまう。やっと救急車が到着するが、死傷者も出るバスの事故が起こったこともあり、彼は病院をたらい回しにされることになる。
レビューのテキストは準備中です。とりあえず簡単に感想を。手持ちカメラを駆使したスタイルが、場の空気や人物の感情を見事にとらえ、151分という長さを忘れて引き込まれます。但し、リアリティを追及するだけではなく、強烈なブラック・コメディにもなっています。
ルーマニアの“ニュー・ウェーブ”では、様々なアプローチで他者との関係が掘り下げられていきますが、本作も例外ではありません。普段は猫が話し相手で、時々、遠くに暮らす姉と電話で話すだけの孤独な老人が、発病し、救急車を呼ぶことで、他者と出会うことになります。その出会いは、医療の現実を映し出すだけではありません。
クリスティアン・ムンジウ監督の『汚れなき祈り』でも引用しましたが、この作品についても政治学者ジョゼフ・ロスチャイルドが書いた『現代東欧史 多様性への回帰』が参考になりそうです。
まずロスチャイルドは、チャウシェスクの権力を以下のように説明しています。
「それでもチャウシェスクは一九八〇年代末まで清算を免れた。これは、社会を黙らせて個々ばらばらにし、教会の弱さと従順を利用し、労働者と農民、労働者とインテリゲンチア、ルーマニア人と少数民族(おもにハンガリー人とロマ)、軍と警察、国家機構と党機構、これら官僚と自分の一族、その他を相互に、またそれぞれの内部で反目させる、彼の戦術の巧みさのおかげだった」
しかもそれは流血の革命で終わりを告げたわけではありません。同書には以下のような記述もあるからです。
「しかし、権力の集中と特権の構造はチャウシェスクの没落ののちまでしぶとく生き延びた。強制、恐怖、疑惑、不信、離反、分断、超民族主義といった政治文化がルーマニアで克服されるまでには長い時間が必要である。結局のところこうした文化は、半世紀にもおよぶ共産主義支配によってさらに強化される前から、すでにルーマニアの伝統となっていたからである」 |