『俺の笛を聞け』の背景にもそんな現実があるが、同じ劇映画でも『ウィークエンド・ウィズ〜』と本作のアプローチは見事に対照的だ。ベテラン監督のグレアは、キャラクターからエピソードまで緻密な脚本を土台にしているのに対して、ニューウェーブに属するサーバンは、社会的な背景に関する説明は切り捨て、ドラマを少年院という閉ざされた空間に限定し、手持ちカメラで主人公の少年に肉薄していく。そうしたアプローチは、この作品が戯曲を原作にしていることとも無関係ではないはずだが、ドラマからは異様な緊張感と生々しい感情が浮かび上がってくる。
この映画は背景を描かないことでそれを想像させる。シルヴィウはなぜ少年院に入ることになったのか。『ホーム・アローン ルーマニアの悲劇』に登場する母親たちは、心が引き裂かれるような思いで子供たちを残し、イタリアやスペインで働いていたが、兄弟の母親の場合はどうか。シルヴィウの発言に従うなら彼女は性悪という印象を与えるが、すべて鵜呑みにすることはできない。兄弟の父親は入院中であり、母親にもやむにやまれぬ事情があったとも推測できる。
興味深いのは、『ウィークエンド・ウィズ〜』でもこの映画でも、スペインやイタリアから戻ってきた母親が、子供を連れて再び海外に出て行こうとすることだ。2本の映画は、『ホーム・アローン ルーマニアの悲劇』が浮き彫りにするのとは違った問題を炙り出しているともいえる。
さらにこの映画では、インターンのソーシャル・ワーカーとして少年たちをリサーチするために少年院やってきたアナの存在も見逃せない。そのアナからアンケートを受けたシルヴィウは、彼女に好意を持つ。そして、終盤のドラマでは、シルヴィウと母親、アナが三角形を形作り、抑圧と解放、緊張と弛緩の著しい落差が強烈なダイナミズムを生み出す。凄まじい執念で母親と決着をつけようとするシルヴィウには鬼気迫るものがあるが、もう一方ではアナとの関係を通してこれまでとは異なる心の動きを垣間見ることができる。それは、彼が重い過去を清算し、未来を見つめようとしていることを示唆しているのかもしれない。
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