俳優ガエル・ガルシア・ベルナルの初監督作品『太陽のかけら』は、インディペンデントのスピリットが伝わってくる力作だった。正直なところ、ベルナルが監督としてこれほど才能があるとは予想していなかった。
この映画に描かれる若者たちのドラマは、メキシコの現実と無縁ではない。1992年、メキシコのサリナス政権は、アメリカとNAFTA(北米自由貿易協定)を締結し、ナショナリズムと保護主義から市場主義へと方向を転換した。ジョン・グレイの『グローバリズムという妄想』には、その後の状況がこのように記述されている。「メキシコにおける自由市場は、もともと世界でもっとも不平等な社会の一つだった同国における経済的、社会的な不平等を激化させた」
そんな現実は、昨年(2008年)公開されたグレゴリー・ナヴァ監督の『ボーダータウン 報道されない殺人者』にも描き出されていた。実話にインスパイアされたこの映画では、とんでもなく豪華なパーティで誕生日を祝福される特権階級の少女と、土地を奪われ、工場で機械のように働かされる少女が巧妙に対比されていた。
『太陽のかけら』の主人公は、有力政治家の息子クリストバル。彼はある夏の午後、両親の別荘に友人たちを招く。プールつきの豪華な別荘でのパーティは盛り上がりを見せるが、クリストバルのなかから次第に様々な歪みが露呈してくる。
どうやら彼の父親は不正が公になって海外に身を隠しているらしい。母親から別荘にかかってきた電話によって、彼女が金策に奔走していることが察せられる。特権階級の息子たちは、国境など存在しないかのようにプリンストンやハーバードといったアメリカの大学に進学する。だが、合否通知が届かない彼は、友人の合格を知って苛立ちを隠せなくなる。
さらに、友人が連れてきたアルゼンチン人の女の子ドロレスをめぐって軋轢が生じる。ドロレスに一目惚れしたクリストバルは、幼なじみでありながら、先住民であるために庭師をしているアダンが彼女に接近するのが耐えられず、差別意識を剥き出しにしてしまう。
ベルナル監督は、別荘という限定された空間で繰り広げられる一日のドラマを通して、メキシコの現実を巧みに描き出している。 |