映画の舞台となるコーカサス山脈の景観は独特な印象を与える。緑に覆われているが、樹木が少ない。それは森林限界ということだけではなく、地質や気候とも関わっているのかもしれない。さらに岩場の奇勝にも目を奪われる。“ロンリエスト・プラネット”というタイトルに相応しく、どこかSF的なイメージも漂わせる。
日常から隔てられた空間で繰り広げられる3人の男女のドラマは、ロマン・ポランスキーの『水の中のナイフ』を連想させるところもある。彼らの間に明確な対立が起こるわけではないが、複雑な感情が炙り出され、象徴とまではいえないが、ナイフも目にとまる。
3人は山のなかで、そこに暮らしているらしい男たちに出会う。ガイドのダトと男たちはグルジア語で話しているので、アレックスとニカには意味がわからない。ところが、男たちのなかの父親らしき人物が突然、ふたりに銃を向け、動転したアレックスはとっさにニカを楯にする。ニカはすぐにアレックスの背後に回りこむが、その一瞬の出来事がふたりの関係、そしてダトを含む3者の関係に微妙な影響を及ぼしていく。だが、なにか劇的なことが起こるわけではない。
淡々としたドラマに退屈する人もいることだろう。だが、筆者のように山歩きを趣味にする人は引き込まれるに違いない。それは風景の魅力だけを意味しているのではない。集団で山に登る場合には、信頼関係が重要になる。この映画の舞台のように、観光化された山ではなく、隔絶された場所で、キャンプしながら行動をともにするのであればなおさらだ。しかも、集団にはリーダーが必要になるが、それも明確ではない。そんな状況で生じた亀裂は、雇った人間と雇われた人間、男と女、言語や文化が違う人間同士の関係や距離を変化させていく。
さらにもうひとつ、筆者が驚いたのは、イギリス・ランカシャーの自然とともに生きるアーティスト、リチャード・スケルトンの音楽が使用されていることだった。彼の音楽がいかに場所や自然と結びついているかについては、『ランディングス/Landings』(09)のレビューをお読みいただければと思う。
この映画のなかで、スケルトンの音楽は、主人公たちが米粒のように見えるような、自然の雄大さが際立つロングショットの映像に重ねられている。ロクテフはスケルトンに映像を見せ、お互いに、もともと違う場所から生まれた音楽ではあるが、映像と調和していると感じたという。確かに、ここではランドスケープとサウンドスケープが融合し、深みを生み出している。
|