ところでタイタニックはなぜこのように人々を惹きつけるのだろうか。その魅力を探る上でとても参考になるのが、スティーヴン・ビールという学者が書いた『Down with the Old Canoe』という研究書である。アメリカ社会のなかでタイタニックの惨事がどのような意味を持っているのかを分析する本書には、
映画の内容がいっそう興味深く思えてくる指摘が多々ある。
著者は、この惨事が今世紀で最も神秘的な出来事になった背景に、多様な社会的要因があったと考え、惨事と時代の状況がどのように結びついていたのかを解き明かそうとする。この惨事は、女性解放や労働運動、移民、階層社会と民主主義などの転換点にあたる時期に起こったために、驚くほどたくさんの意味を持つことになったのだ。
たとえばこの惨事の後、女性の立場について様々な意見が飛び交った。妻の命を救って犠牲になった大富豪ジョン・ジェイコブ・アスターの葬儀には、1万5千人の女性が参列し、葬列は自由を求める女性たちの団結の象徴になった。逆に宗教界の指導者たちは、夫と運命をともにした女性たちを賞賛した。
フェミニズムの台頭、離婚の急増、家庭の崩壊の時代に、彼女たちが失われつつある美徳を示したというのだ。ところがもう一方で左翼の女性活動家エマ・ゴールドマンは、乗船していた女たちは結婚を遵守するという意味ではなく、女としての資質を示すために船内に残って死を選ぶべきだったと発言した。
また、タイタニックの物語ではまず何よりも、婦女子を優先して救命ボートに乗せた男たちのヒロイズムが前面に出てくるが、その影で女装してボートに乗り込んだ男たちもいた。階層の違う人々が一緒に沈んでいく光景を民主主義の象徴ととらえた人々も少なくなかったが、一方で乗客の生存率には階層の違いが反映されていた。
乗員については、経営者がコストを切りつめたために、タイタニック号には安く雇える経験の浅い労働者が苛酷な条件下で働かされていた。それゆえに、惨事は労働者の団結の象徴になり、氷山は労働者たちの感情の結晶だったともいわれた。
映画「タイタニック」に再現される空前の惨事と、緊迫した状況のなかで繰り広げられるドラマは、このようなことを踏まえてみるとさらに興味深くなる。なぜなら、そうした意見はあくまで惨事の後の結果論ということになるわけだが、われわれは惨事の現場の目撃者となり、意見を現実に照らして反芻できるからだ。
他の乗客から見下ろされる三等船客の移民で、心は新天地に対する希望で満ちているジャックと、上流のしきたりに縛られ、牢獄のような生活に向かう途上にあるローズ。彼らが一緒に、あるいは時に独断で選択する運命は、階層や女性の立場をめぐる様々な意見に対する挑戦ともいえる。彼らはまさにタイタニックの神秘へと突き進み、それゆえドラマは鮮烈な印象を残す。
加えてこの映画の3時間9分という長さも作品の重要なポイントになっている。冒頭でタイタニック・ブームは50年代に始まったと書いたが、先述したビールの本によれば、そのきっかけを作ったのはウォルター・ロードの小説「タイタニック号の最後(A Night to Remember)」だったという。
この小説は、あたかもタイタニックに乗り合わせているかのような視点で、この大惨事の顛末を時間の流れに則して、生々しく克明に描写した作品だった。そんな物語が人々を魅了した背景には、50年代が原爆の脅威と旅客機全盛の時代で、危機に際して個人のヒロイズムが通用するような余地がほとんどなくなっていたことがあげられる。
タイタニックは、個人の誇りや愛、義務の遂行など、ヒロイズムを表現できる最後の砦になったわけだ。「タイタニック」の3時間9分には、現代を背景としたパニック映画とは明らかに異質な人間ドラマが刻み込まれているのだ。
アメリカでは、タイタニック神話の信奉者たちのあいだで、タイタニック号の生存者たちが神のように崇められているという。それを思うと、102歳の生存者の生々しくかつ神秘的な話を聞いたラベットが、宝探しを放棄するのも頷ける気がしてくることだろう。 |