キャラウェイはギャツビーの世界に深く引き込まれ、おそらくはそこから抜け出せずにアルコールに溺れた。この映画は、重い過去に押しつぶされかけたキャラウェイが、それを語り、そして綴ることによって立ち直っていくという、ある種の精神療法のような物語になっている。そんな人物の回想、彼の目を通して見た世界であることを踏まえるなら、過剰な表現もあながち不自然とはいえない。
ラーマンがこのキャラウェイの位置づけをかなり明確に意識していたことは、プロダクション・ノートの以下のようなコメントから察することができる。
「私たちは、ニックの言葉を、単なる肉体から離れたナレーションにしたくはなかった。私たちは、ニックが自分の考えや感情にもがく様子を描きたかった。だから、起こってしまった悲劇をニックがちゃんと打ち明けられるような誰か、編集者か司祭か、その両方のような人物が必要だったんだ。打ち明けた後で彼が書き始められるように。そんなわけで、私たちはドクターを登場させようというアイデアが浮かんだんだよ。そして幸運にも、ドクター・メニンガーという専門家の協力を得ることができた。メニンガー家は、アメリカにおける進歩的な精神分析技術のもっとも初期からの支持者であり、それはまさに1920年代まで遡る。そして、患者が、自己表現、たとえば、執筆をとおして自分の経験と折り合いをつけていくことを勧められたとしても、それはごく妥当だと、ドクター・メニンガーから説明を受けたとき、私たちはすごく興奮した」
キャラウェイに扮するトビー・マグワイアは、スサンネ・ビアの『ある愛の風景』をジム・シェリダンがリメイクした『マイ・ブラザー』で、アフガニスタンの紛争地帯で捕虜になり、極限の状況まで追い詰められて精神を病む人物を演じた。
その演技は、キャラウェイの病んだ世界に引き継がれ、このドラマに独特の陰影をもたらしている。 |