ニトラム/NITRAM
Nitram


2021年/オーストラリア/英語/カラー/112分/1.55:1/5.1ch
line
(初出:)

 

 

オーストラリアのタスマニアで起こった無差別銃乱射事件
疎外された単独犯の日常と分岐点を冷徹な眼差しで描き出す

 

[Introduction] 1996年4月28日日曜日。オーストラリア、タスマニア島、世界遺産の観光地ポート・アーサー流刑場跡で無差別銃乱射事件が発生した。死者35人、負傷者23人。コロンバイン高校銃乱射事件より3年前、2倍以上の死者数、銃規制の必要性を全世界に問いかける先駆けとなった事件だった。 当時27歳の単独犯マーティン・ブラインアントの思想的な動機や背景が不明瞭であることも拍車を かけ、新時代のテロリズムの恐怖に全世界が騒然となった。

 “ポート・アーサー事件“から四半世紀──このオーストラリア史上最も暗く、不可解な事件を真正面から描き切ったのは鬼才ジャスティン・カーゼル。鬼気迫る演技で主人公ニトラムを演じたのは、ジョーダン・ピール、ショーン・ベイカー、ジャームッシュ、サフディ兄弟、コーエン兄弟はじめ現代の名匠たちの作品への出演が相次ぐ注目度 No. 1 俳優ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ。見事カンヌ国際映画祭、シッチェス・ カタロニア映画祭などで主演男優賞を受賞。ジ ュディ・デイヴィスなどオーストラリアを代表する名優たちによる主人公の周囲の人々による怪演のアンサンブルも見逃せない。(プレス参照)

[Story] 90年代半ばのオーストラリア、タスマニア島。かつて囚人の流刑地だった、観光しか主な産業がない閉塞したコミュニティに暮らす20代半ばの青年。メンタルヘルスの問題を抱え、母親から半ば強制的に抗うつ剤の薬を飲まされている。子供の頃から好きだった花火遊びをやめられない彼は、 近所からは厄介者扱いされ、同級生からは本名を逆さ読みした蔑称“NITRAM”と呼ばれバカにされている。父がコテージを買ったら牛を飼いたい、ジェイミーのようにサーフィンがやりたい、などさまざまな願望を持っているが、親はコテージを買うことができず、母親はサーフボードを買ってくれない。なにひとつ思い通りいかず、何をしてもうまくいかない日々。サーフボードを買う資金を貯めるため、芝刈りの訪問営業を始めた彼は、ある日、ヘレンという女性と運命的に出会い、恋に落ちる。しかし悲劇的な事件をきっかけに、彼の精神は大きく狂い出す…。

[以下、本作の短いレビューになります]

 本作の脚本を手がけたショーン・グラントは、事件へのアプローチについてプレスに収められた[STATEMENT]で以下のように語っている。


◆スタッフ◆
 
監督   ジャスティン・カーゼル
Justin Kurzel
脚本 ショーン・グラント
Shaun Grant
撮影 ジャーメイン・マックミッキング
Germain McMicking
編集 ニック・フェントン
Nick Fenton
音楽 ジェド・カーゼル
Jed Kurzel
 
◆キャスト◆
 
ニトラム   ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
Caleb Landry Jones
ニトラムの母 ジュディ・デイヴィス
Judy Davis
ニトラムの父 アンソニー・ラパリア
Anthony LaPaglia
ヘレン エッシー・デイヴィス
Essie Davis
ジェイミー ショーン・キーナン
Sean Keenan
医師 コンラッド・ブランド
Conrad Brandt
-
(配給:セテラ・インターナショナル)
 

「凶悪な事件が起きるときはいつも、犯人は邪悪で狂っているというレッテルが貼られます。この方が、ニュースを簡単に消化できますから。しかし、この捉え方は危険だと思います。社会は悲劇から何も学ぶことができないからです。よって、この悲劇をよく見るという方法を取りました。殺人者に好感を持たせる意図はなく、むしろ一人の人間がどのようにしてこんな罪を犯してしまったのかを深く理解するためです」

 作り手は、”ニトラム”と呼ばれバカにされていた主人公が凶行に至るまでの行動を冷徹な眼差しで描き、そこにはこの人物に対する様々な解釈の余地が残されている。なかでも筆者が特に興味を覚えたのは、ニトラムが宝くじ会社の相続人ヘレンと出会ったことによる環境の大きな変化だ。

 ニトラムとヘレンの親密な関係は悲劇的な結末を迎えるが、彼女はふたつのものをニトラムに遺す。ひとつは数十万ドルの遺産。花火や空気銃に執着していた彼は、それがなければ高価な銃を購入できなかったかもしれない。もうひとつは、ヘレンが飼っていたたくさんの犬たち。ニトラムはその犬たちの面倒をみることになる。というよりも、ヘレンと出会った直後から面倒をみていた。

 本作において、ニトラムと犬たちとの関係はどうでもいいような細部に過ぎないだろう。だが、このような事件を起こす人物で、動物と関係を持っていた者がいただろうか。筆者がニトラムと犬たちとの関係に興味を覚えるのは、同時期に公開されるエリザベス・ロー監督のドキュメンタリー『ストレイ 犬が見た世界』の影響も少なくない。

 『ストレイ 犬が見た世界』では、トルコのイスタンブールに暮らす野良犬たちとシリア難民の少年たちの関係が描かれる。ロー監督は、そのコンセプトを考える上で重要な役割を果たしたものとして、路上の犬をモデルに生活していた古代ギリシャの哲学者ディオゲネスに関する作品、ジョン・バージャーのエッセイ「なぜ動物を観るのか?」(『見るということ』所収)、ダナ・ハラウェイの著作に言及している。

 バージャーの「なぜ動物を観るのか?」では、企業資本主義によって人間と自然を繋ぐ伝統が壊される以前、動物が人間と共に世界の中心に存在していた時代における動物と人間の関係が以下のように表現されている。

「動物は人間だけを特別扱いしているわけではない。けれど人間以外、動物の視線を親しみをもって受け入れる種はない。他の動物はその視線によって押し止められる。人間はその視線を返すことによって自分自身を認識する」

 さらに、ハラウェイの『伴侶種宣言――犬と人の「重要な他者性」』では、犬と人間の関係への関心が以下のように綴られている。

「犬たちは[人間の]自己とは一切関係がない。それこそが犬の良さでもあるのだ。犬は投影ではない。何らかの意図の実現でもないし、何かの最終目的でもない。犬は犬である。つまり、人類とともに特定の環境のなかで生き、構成的かつ歴史的で、変幻自在の関係を築いてきた、あの生物種なのだ。その関係性が格別にすばらしいものだと主張するつもりはない。そこには喜びや創意工夫、労働、知性、あそびとともに、排泄物も、残酷さも、無関心や無知や喪失もあふれているのだから。わたしがしたいのは、この共歴史(co-history)を語るすべを学び、自然‐文化において共進化の帰結を継承する方法を身につけることである」

 ニトラムがサーフィンをやろうとするのは、彼がよく目にする若者ジェイミーがサーフィンをやっているからで、自分も同じ人間になり、集団に帰属したいと思っている。しかし、いきなりサーフィンをやろうとしてもうまくいくはずもなく、バカにされるだけで受け入れられない。社会から除け者にされたニトラムが、犬の面倒をみるだけでなく、犬と関係を構築することができたら、彼は人間中心主義の呪縛から解放され、新たな世界観を獲得することができたかもしれない。

 しかし彼には、人間中心主義の世界しかない。銃を購入した彼は、他者としての意味を見出せなかった犬たちを路上に放ち、彼を排除する人間中心主義の世界を破壊するためにポート・アーサーに向かう。

《参照/引用文献》
『見るということ』 ジョン・バージャー●
笠原美智子訳(白水社、1993年)
『伴侶種宣言――犬と人の「重要な他者性」』 ダナ・ハラウェイ●
永野文香訳(以文社、2013年)

(upload:2022/03/17、update:2022/03/22)
 
 
《関連リンク》
エリザベス・ロー 『ストレイ 犬が見た世界』 レビュー ■
ガス・ヴァン・サント 『エレファント』 レビュー ■
ドゥニ・ヴィルヌーヴ 『静かなる叫び』 レビュー ■
マイケル・ムーア 『ボウリング・フォー・コロンバイン』 レビュー ■

 
 
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