逃げた女
The Woman Who Ran


2020年/韓国/カラー/77分/ヴィスタ/5.1ch
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(初出:ニューズウィーク日本版2021年5月4日/11日号、若干の加筆)

 

 

「反復とズレ」で謎めくヒロイン像

 

[Story] ガミは、5年間の結婚生活で一度も離れたことのなかった夫の出張中に、ソウル郊外の3人の女友だちを訪ねる。バツイチで面倒見のいい先輩ヨンスン、気楽な独身生活を謳歌する先輩スヨン、そして偶然再会した旧友ウジン。行く先々で、「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」という夫の言葉を執拗に繰り返すガミ。穏やかで親密な会話の中に隠された女たちの本心と、それをかき乱す男たちの出現を通して、ガミの中で少しずつ何かが変わり始めていく。

[以下、本作のレビューになります]

 韓国の異才ホン・サンスは、即興的な演出と緻密な構成、反復とズレを駆使するミニマルなスタイルで、男女の関係や人生につきものの曖昧さを炙り出してきた。しばしば実生活から着想を得る彼の作品では、惚れっぽくてだらしない映画監督のような男性が主人公になることが多かったが、三話からなる本作では、女性を中心に物語が展開していく。

 ソウルで花屋を営むガミは、結婚して五年になる夫の出張中に郊外へ足を向け、数年ぶりに三人の女友だちと再会する。一話と二話では、ヨンスンとスヨンという先輩を訪ね、近況などを語り合う。三話では、カルチャーセンターを訪れたガミが、そこで室長を務める同世代の旧友ウジンと偶然再会する。人気作家となったウジンの夫はガミの元恋人で、彼女たちの交流は途絶えていたが、和解が成立し旧交を温めることになる。

 そんな再会が積み重なればヒロインの背景が明らかになってくるはずだが、ガミの人物像は一向に焦点を結ばない。旧友たちには、生活の変化や老い、悩みなどを垣間見ることができるが、「夫と離れたのは今回が初めて。愛する人とはいつも一緒にいるべき、というのが彼の考えだから」という話を執拗に繰り返すガミには、時の重みが欠けている。だから次第に彼女の存在感が希薄になっていく。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/編集/音楽   ホン・サンス
Hong Sang-soo
撮影 キム・スミン
Kim Sumin
 
◆キャスト◆
 
ガミ   キム・ミニ
Kim Min-hee
ヨンスン ソ・ヨンファ
Seo Young-hwa
スヨン ソン・ソンミ
Song Seon-mi
ウジン キム・セビョク
Kim Sae-byuk
ヨンジ イ・ユンミ
Lee Eun-mi
チョン クォン・ヘヒョ
Kwon Hye-hyo
-
(配給:ミモザフィルムズ)
 

 さらに本作には、そんなガミの存在を異化していく仕掛けが施されている。見逃せないのは、どの物語にもガミが思わぬかたちで旧友の人間関係を知るエピソードが盛り込まれていることだ。一話では、防犯カメラでヨンスンと隣人の娘のやりとりを見ることで、先輩が娘の心の支えになっていることを察する。二部では、インターホンのモニターで、スヨンが彼女に付きまとう若い詩人に罵声を浴びせ、追い返す様子をじっと見ている。

 劇中でともに年齢が26くらいと説明される隣人の娘と若い詩人は、その場面だけを見れば、二人の先輩とガミが分かち合う時間に割り込んでくる存在だが、本作の緻密な構成を通して見ると、そうともいえなくなる。三話それぞれの冒頭では、これからガミと再会する旧友がただ映し出されるだけではなく、伏線が埋め込まれている。

 ヨンスンは、不安を抱えて面接に行く隣人の娘を励まし、見送る。スヨンは、かかってきた電話を無視する。その時点では相手が誰かわからないが、後に詩人だと想像がつく。つまり、ガミが現れる前から、ヨンスンは娘のことを気にかけ、スヨンは詩人のことで気を揉んでいる。だからそれぞれに当人と対面して感情が露わになる。その時、娘や詩人と存在感が希薄なガミの立場が逆転し、ガミが傍観者や闖入者のように見えてくる。

 そうなると、パターンが少し異なる三話で伏線がどう変わるのかが興味深くなる。その冒頭で描かれるウジンと部下の会話からは、ウジンが、人気が出たことで変わった夫に疑問を抱き、疲れを覚えていることがわかる。

 そんなウジンが偶然にガミと再会し、和解することでこの伏線が生きてくる。夫に不満を持つ彼女にとって、昔から夫のことを知っているガミは腹を割って話ができる相手だからだ。そこでウジンは、テレビやインタビューで同じ話ばかり繰り返し、真実味がない夫を痛烈に批判する。

 図らずもウジンと夫の関係に巻き込まれたガミは、もはや傍観者や闖入者ですらなく、行き場のない虚ろな存在であることを露呈する。美しい山々に囲まれた町で、逃げるように海に引き寄せられていく彼女の姿には寂寥感が漂い、忘れがたい印象を残す。


(upload:2021/09/25)
 
 
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