気まぐれな唇
Turning Gate


2002年/韓国/カラー/115分/ヴィスタ/ドルビーSR
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(初出:『気まぐれな唇』劇場用パンフレット)

 

 

即興性と緻密な構成から
浮かび上がる「曖昧なもの」の魅力

 

 ホン・サンス監督の『気まぐれな唇』には、何度も繰り返し観たくなるような魅力がある。かつて俳優たちと特別な信頼関係を築き、生身の人間の感情を描きだしたジョン・カサヴェテスは、自分の作品についてこのように語っている。

多くの監督は自分が何をしているか知っている。ぼくは翌日になるまで知らない。ぼくらの映画が人生と似たようなものだと思われているのは、人生につきものの何か曖昧なものが映画の中にあるからだ。明日何が起きるかなんて決められるわけがない

 この『気まぐれな唇』にも、そんな「人生につきものの何か曖昧なもの」が確かにある。だから繰り返し観たくなるのだ。

 カサヴェテスは、即興的な要素を重視していたが、それ以前に彼の映画には脚本があった。だから、翌日のことがわからないという表現は、すべてを即興に委ねることを意味しているのではない。再び本人の言葉を引用するなら、「脚本を読むことはできても、誰かがそれをどう演技解釈するのか監督は知らない」ということだ。

 『気まぐれな唇』でホン・サンスは、登場人物に対する鋭い洞察と即興性を重視した演出によって、男と女の感情の機微をとらえているが、やはりすべてを即興に委ねているわけではない。

 この映画には、もう一方で驚くほど緻密な構成がある。俳優のギョンスは一週間の旅のなかで、ミョンスクとソニョンという二人の女に出会うが、ふたつのロマンスの状況には呼応する要素が多々ある。

 男と女は酒を飲みながら親密になる。彼らは、ホテルに行ってセックスし、間を置いて部屋を出る前にもう一度セックスする。関係を持った男と女は、また会うための駆け引きを繰り広げ、女たちはそっくりなメッセージを男に残す。そのロマンスの鍵を握るのは、ギョンスの先輩であるソンウやソニョンの夫というもうひとりの男が絡む三角関係であり、「愛してる」という言葉である。

 そして、このように様々な接点を持つ緻密な構成に沿って、現場で男と女の感情が掘り下げられていくとき、そこに皮肉なコントラストが生まれ、「人生につきものの何か曖昧なもの」が浮かび上がってくるのである。

 この映画のなかで、ギョンスはいつも女を見ている。先輩のソンウと名所見物に行けば、一人旅の女子大生に目が行き、ひとりで店で食事をすれば、そばに座っているアベックの女の脚を見つめている(このふたつのエピソードは、それぞれその後に生まれる三角関係を予告しているともいえる)。

 そして、ミョンスクやソニョンと寝ると、腰を激しく動かしながら、どんなセックスが好きかという話を始める。要するに彼は、女好きだが、女がわかってない男であり、ロマンスの出発点ではほとんど同じことを繰り返しているに過ぎない。しかし、ふたつのロマンスのなかで、男と女の関係は見事に逆転していく。

 ギョンスのファンであるミョンスクは、彼を大胆に誘惑する。酒の席ではキスを迫り、帰り道では車から誘い出し、さり気なくラブホテルへと誘導していく。彼女はベッドで「愛してる」という言葉を執拗に求めるが、その場限りの関係だと思っているギョンスは、「かわいい」という言葉とセックスでごまかそうとする。つまり、最初のロマンスでは、ギョンスが関係をうやむやにするために、もう一度セックスするのだ。それを見透かしているミョンスクは、ソンウになびく仕草を見せて、なんとか彼を引き寄せようとする。


◆スタッフ◆

監督/脚本   ホン・サンス
Hong Sang-Soo
撮影 チェ・ヨンテク
Choi Young-Taek
編集 ハム・ソンウォン
Haan Sung-Won
音楽 ウォン・イル
Won Il

◆キャスト◆

ギョンス   キム・サンギョン
Kim Sang-Kyung
ソニョン チュ・サンミ
Chu Sang-Mi
ミョンスク イェ・ジウォン
Yeh Ji-Won

(配給:ビターズ・エンド)
 


 ギョンスは、先輩のソンウが絡む三角関係に気まずくなるが、ここで思い出されるのは、この映画が、ソンウがギョンスにかけた一本の電話から始まっていることだ。ソンウは、その電話をかけたとき、ギョンスのファンだという女と盛り上がっていた。その女とは、ミョンスクに違いない。おそらくソンウは、自分がギョンスと親しいところを彼女に見せるために電話をしたのだろうし、もしかすると彼が本当に訪ねてくるとは思ってなかったのかもしれない。実際その時点では、ギョンスは次の映画に出ることになっていたのだ。ところが、あれよあれよという間に彼らは気まずいことになっているのである。

 一方、ギョンスが列車のなかで出会うソニョンは、彼に思わせぶりな態度をとるかと思えば、逆に一線を引いてくる。列車のなかでは彼女が一方的に話しかけてくるのに、ビールの誘いは断る。ギョンスの告白に応えて食事をしたときも、何年も前に彼と出会っていたことを楽しそうに語りながら、その後でやっと人妻であることを告白するばかりか、わざわざ夫の経歴まで話しだす。ギョンスは、彼女のそんなクールで謎めいたところに強く惹かれていく。

 そして、このソニョンとのロマンスを通して興味深く思えてくるのが、金をめぐるエピソードだ。この映画の冒頭には、期待していた映画の企画から下ろされたギョンスが、自分のギャラに執着して顰蹙を買うエピソードがあるが、ソニョンに付きまとう彼は、次第に彼女との生活の違いを心のどこかで意識するようになっている。彼は、大学教授である彼女の夫に勝手に嫉妬し、彼女を自分に引き寄せるために、夫の不倫の疑惑をにおわす。

 ギョンスとソニョンが最初にセックスするのは洒落たホテルだが、それは彼女が選び、自分で金を払っている。一方、彼が、財布を忘れた彼女と過ごすのは明らかに安っぽいラブホテルであり、なぜか彼の下半身は役に立たない。ミョンスクとの関係とは逆に、いまや豊満なバストという肉体を誇示しているのはソニョンの方であり、いつの間にかミョンスクの立場にはまり込んでしまったギョンスは、「愛してる」という言葉にすがるしかなくなっている。

 この映画には、美しい姫と彼女につきまとい、殺されて蛇に生まれ変わる男の伝説が引用されているが、ソニョンとの立場の違いを意識してしまうギョンスの姿には、自分から蛇になってしまうような皮肉があるのだ。

 
《参照/引用文献》
『ジョン・カサヴェテスは語る』ジョン・カサヴェテス著 レイ・カーニー編集●
遠山純生・都筑はじめ訳(ビターズ・エンド 2000年)

(upload:2005/04/10)
 
 
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