ホン・サンス監督の『女は男の未来だ』では、極めて日常的な設定のなかで、ふたりの男とひとりの女の心理が、次々と炙り出されていく。
映画は、美術講師のムノのところに、大学時代の先輩ホンジュンが訪ねてくるところから始まる。ホンジュンは映画監督で、アメリカ留学から戻ったばかりだ。そして、昼間から店で飲みだした彼らは、7年前にそれぞれに関係を持ったソナの話で盛り上がり、酒の勢いも手伝って彼女に会いにいく。
これはどこにでもありそうな話に見えるが、実は、ホン・サンスならではの緻密な構成と即興が融合したドラマになっている。
映画の冒頭には、ホンジュンが、庭に積もった新雪の上を、足跡が一方向になるように往復する場面がある。それは、このドラマのモチーフになっている。ひとつに見えるふたつの足跡は、過去と現在であり、往復する行為は、過去をたどると同時に、それを消そうとすることを意味する。
その現在とは、回想のなかの現在も含まれる。たとえば回想のなかで、前日、高校時代の先輩に半ば強引に付き合わされたソナは、約束のたびに待たされて機嫌のよくないホンジュンに、あっさりとレイプされたと打ち明ける。そのひと言で過去は単純化される。それに対して、ホンジュンは、汚れを落とすためだというセックスをする。そんなふうにして彼らは過去を消しあう。
主人公たちの未来は、過去をどのように消してその先に踏み出すかにかかっている。三角関係のなかで、彼らの足跡はとめどなく入り乱れていく。
回想のなかでホンジュンは、ソナに黙ってアメリカに旅立とうとするが、ムノが彼女を空港に呼び出してしまう。ムノには下心があったはずだが、予想に反して彼らは、言葉の上での愛を確認してしまう。そんな回想には、足跡をめぐるせめぎあいを見ることができる。
そして、現在のドラマの種はそのときに蒔かれ、ムノは、自分が加担してできた足跡や消したはずの足跡に翻弄され、彷徨うことになるのだ。 |