男と女の関係には常に曖昧なものが潜み、先の読めないドラマを生み出していく。そのことを誰よりもよく理解している監督がホン・サンスだ。
彼は巧妙な話術を駆使してその曖昧なものを描き出してきたが、パリを舞台にした『アバンチュールはパリで』では、独自のスタイルがさらに進化を遂げている。
ホン監督の作品では、撮影の現場から生まれる自発性や即興性が重視される。それはこの新作でも変わらない。違うのはもうひとつの要素だ。彼の作品には緻密な構成がある。
『気まぐれな唇』は大きく前半と後半に分けられ、主人公が出会う二人の女と二つの三角関係が対置されていた。『女は男の未来だ』では、三人の男女の関係をめぐって七年前の出来事と現在が対置されていた。『映画館の恋』では、映画監督と監督の卵、女優をめぐって映画の世界と現実の人生が対置されていた。
しかし新作にはそんな作品の枠組みとなるような構成が見当たらない。物語は日記形式で描かれ、断片的なエピソードが淡々と積み重ねられていく。それなのにホン監督がこだわる曖昧なものが、これまで以上に鮮明に浮かび上がってくるのはなぜなのか。
まずこの映画では、これまで構成として提示されていた視点が、細部に埋め込まれている。
主人公のソンナムが、若い韓国人カップルを見かけてもうあんな恋はできないと思ったり、十年前に別れた恋人と再会するエピソードは、過去と現在の対置に繋がる。ソンナムと彼が心を奪われるユジョン、彼女のルームメイトのヒョンジュの関係は、ホン監督が好む図式や状況であり、彼らの駆け引きが恋の行方に微妙な影響を及ぼす。そして映画の終盤では、ソンナムが見る夢と彼の結婚生活という現実が対置される。
但し、そうした視点だけでは、ホン監督らしさは感じられても、作品の統一感には繋がらない。そこで注目しなければならないのが、ソンナムが暇つぶしに手に取る聖書だ。
マリファナの一件から中絶、不倫、避妊、妊娠、そして奇妙な夢まで、大半のエピソードは罪悪感に関わっている。ホン監督はこの映画で、複雑な構造が自然な流れに完全に溶け込んでしまうような新たな話術を獲得しているのだ。 |