[ストーリー] 映画は冬の凍てつく路地で気を失っていた女性主人公ジョーが、偶然通りかかったインテリ紳士セリグマンの自宅で介抱されるシーンから始まる。謎めいたジョーの素性に興味を引かれたセリグマンに説明を促され、彼女は数奇な身の上を語り始めた。
それは幼い頃から“性”に強い関心を抱き、貪欲なまでに快楽を追い求め、数えきれないほどの男たちとのセックスを経験してきた女性の驚くべき遍歴。いくら肉体を与えても満たされないジョーは、苦行のような試練の嵐に見舞われながらも後戻りせず、さらなる茨の道を突き進んでいく。その行く手に待ち受けるのは救済か、それとも壮絶なる破滅なのか――。[プレスより]
ラース・フォン・トリアー監督の『ニンフォマニアック(Vol.1/Vol.2)』は、『アンチクライスト』(09)、『メランコリア』(11)につづく“鬱三部作”の完結編だ。物語は、薄暗い路地に傷だらけで倒れていた女性ジョーが、偶然通りかかった紳士セリグマンの自宅で介抱され、身の上を語り出すところから始まる。
ジョーの告白から浮かび上がるのは、タイトルになっている“色情狂”のヒロインがたどった壮絶な性の遍歴だ。フォン・トリアーは、過激な性描写から『キングダム』を思い出させるブラック・ユーモアまで、多様なスタイルを駆使してそんな題材を映像化し、2部作8章で構成される4時間の作品にまとめあげた。
この映画で筆者がまず注目したいのは、ジョーとセリグマンが交わす対話だ。ジョーの告白に耳を傾けるセリグマンは、彼女の体験をフライフィッシングやフィボナッチ数列、バッハの音楽などと結びつける。それは豊かな教養の持ち主であることだけを意味するのではない。
やがて彼がエイセクシャル(無性愛者)であることが明らかになる。つまり、他者に恋愛感情や性的欲求を抱かない人物なのだ。ジョーは相手に理解する気があるという前提で告白を始めた。だから彼は、彼女の性器を中心とした体験を、自分の知識を使って翻訳することで理解しようとしていたのだ。
これは、極端にいえば“性器”と“頭”の間で交わされる対話だといえる。しかし、二人の間に最後まで明確な一線が引かれつづけるわけではない。それがこの映画の興味深いところだ。 |