ラース・フォン・トリアー監督の『奇跡の海』は、間違いなく私たちの心を揺さぶる作品だが、どう揺さぶるかについては人によってかなり開きがあるはずだ。
フォン・トリアーの映画の魅力は、登場人物や彼らを取り巻く世界を支える土台や枠組みが、この監督のオブセッションから放たれる映像のダイナミズムによって解体され、人間存在に新たな光が投げかけられるところにある。それだけに、そのダイナミズムのとらえかた次第で、心を揺さぶることの意味も変わってくる。
『奇跡の海』は、これまでの作品に比べると、リアリズムを尊重するかのように表現が抑えられているばかりか、物語がわかりやすく完結するため、フォン・トリアーらしいダイナミズムが見えにくい作りになっている。
この映画で登場人物たちの世界を支えているのは、教会であり、宗教である。舞台は厳しい戒律が支配するスコットランドの寒村で、戒律に背くことがあろうとも自分に正直に純粋な愛をどこまでも貫き通そうとする男女の姿が、生々しくリアルなタッチで描き出されていく。
あまりにも無垢で深い信仰心、愛情と喜び、悲劇的な事故と罪悪感、身体の自由を奪われて生き続けることの苦痛と狂気、献身と汚辱、教会の圧力や疎外、そして、犠牲と奇跡。物語の流れをたどっていくと、これは教義に縛られ硬直した宗教を解体し、普遍的な信仰の力を描く映画のように見える。そして、突き詰めれば王道ともいえる物語に深い感動を覚える人も少なくないだろう。
しかし、この映画の凄さは、抑えているように見える映像からこれまでにないダイナミズムを生み出され、硬直した宗教と普遍的な信仰という図式すら払拭し、存在の深淵へと踏みだしていくところにある。
映画は、主人公の男女の軌跡を描く八つの断片的な物語と、その合間に挿入されるスコットランドの自然の景観をとらえたショットで構成されている。このドラマとパノラマ・ショットの交錯が生みだす効果は、まさに映画ならではの魔術といえる。
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