ラース・フォン・トリアーは、これまでの監督作にふたつの三部作という位置づけをしている。『エレメント・オブ・クライム』『エピデミック』『ヨーロッパ』が、男を主人公にしたヨーロッパ℃O部作で、『奇跡の海』『イディオッツ』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が、女を主人公にしたア・ハート・オブ・ゴールド℃O部作ということだ。後者は、フォン・トリアーが子供の頃に耽読した童話「ゴールド・ハート」がその名の由来になっている。
このふたつの三部作は、呪縛とそれに対する解放の関係にあると見ることができる。
最初の三部作は、物語やスタイルの複雑な構造が出口のない迷宮を作り上げる。迷宮の入り口となるのは、『エレメント〜』と『ヨーロッパ』の冒頭や『エピデミック』の終盤の会食で描かれる催眠暗示であり、主人公たちは、決して目覚めることのない悪夢としての現実に囚われていく。
新しい三部作は物語もスタイルも、この最初の三部作とはかなり違う。対照的ですらある。その転換点になっているのは、フォン・トリアーがふたつの三部作の狭間でドグマ95を立ち上げたことだろう。また、新しい三部作の基調となるインスピレーションを彼に与えたという童話も興味深いものがある。
「ゴールド・ハート」の主人公は、森の奥にある一軒家に暮らす孤独な少女だ。彼女は、暖をとる薪も食料も尽きたために外に出て行くが、次々と困っている人々に出会い、最後のクッキーや帽子、セーターを彼らに与える。そして与えるものが何もなくなった時、空から星が降り注ぐ光景を目にし、やがて王子に出会って求婚される。
新しい三部作のヒロインたちは、この少女から発展している。彼女たちは純粋無垢な心の持ち主で、愛する者のためには、どんな苦痛も犠牲も厭わない。そういう意味では、彼女たちのキャラクターはあらかじめある程度決定されているし、物語もメロドラマになることは避けがたい。フォン・トリアーのすごいところは、あえてこのシンプル極まりない条件を受け入れながら、呪縛に対する解放を描きだしてしまうところにある。
『奇跡の海』では、執拗なまでに男女に肉薄する手持ちカメラを通して映しだされるドラマと、自然や時間の流れを鮮やかにとらえるパノラマ・ショットを交錯させることによって、その中間にあるメロドラマの通俗性や感傷が見事に拭い去られた。その結果、限りなく遠い場所から、感情に流されることなく、彼らの肉体の痙攣や心の震えまでをしっかりと見つめつづけることが可能となった。ヒロインを動かす想像力が、
現実を捻じ曲げる超越的な瞬間すら、何ら劇的なことではないように受け入れられる。まさにフォン・トリアーが言うように、ア・シンプル・ラブストーリー≠ネのだ。 |