しかし、一家にとって大統領アラートが脅威になるのは、彼らが基地を後にしてからだ。基地ではぐれたジョン、そしてアリソンとネイサンは、それぞれにヒッチハイクでアリソンの父親のもとに向かい、その途上で深刻なトラブルに巻き込まれる。リック・ローマン・ウォー監督は、そんなトラブルを通してアラートがどのように分断を生み出すのかを描き出している。
アリソンとネイサンは、薬局で出会ったラルフとジュディという中年夫婦の車に乗せてもらう。彼らは親切そうに見えたが、母子がリストバンドをしていることを知り、ラルフの気持ちが揺れだす。その変化には、アリソンが薬局で遭遇した暴徒とは異なる怖さがある。
一般人は、たとえ邪念を抱いたとしても、何らかのかたちで自己を正当化できなければ行動には移さない。そこで思い出されるのが、ラルフがリストバンドに気づく前に、「アラートを受け取った連中は運がいい。政府は危機を察知し、金持ちを選びやがった」と語っていることだ。彼のなかでは、アラートと貧富の格差が結びついていて、子どもを救えば金持ちから奪うことも許されると考え、行動に出る。本意ではないにもかかわらず、そんな夫に引きずられてしまうジュディも、ある意味で被害者といえる。
一方、ジョンはカナダを目指すトラックに乗せてもらい、トラブルに巻き込まれる。このジョンのキャラクターについては、本作を取り上げた海外の記事で、スコットランド生まれのジェラルド・バトラーが普段通りのスコットランド訛りで演じているのが話題のひとつになっていたことを頭に入れておいてもよいだろう。
そのトラブルは、トラックの荷台でジョンの向かいに座っていた男が「出身は?」と尋ねることが発端になる。ジョンが「アトランタ」と答えると、「いや、違うだろ。生まれだよ」と問い詰めてくる。そして、ジョンが答えないと、「お前には資格がねえ、よこせ」といって襲いかかってくる。
このやりとりは、その前に描かれたエピソードと無関係ではない。ジョンがトラックに乗り込んだとき、最初に声をかけてくるのは、隣に座っていたコリンという黒人だ。母親が選抜者だったコリンは、リストバンドをしたジョンとお互いの事情を語り合い、重要な情報を提供する。
ジョンの向かいに座る男はそのやりとりを聞いていて、邪心を抱くだけでなく、ジョンに対して敵意を持つ。彼は、訛りからジョンがスコットランド生まれと察し、アメリカ生まれでない人間に資格はないと言いがかりをつけ、リストバンドを奪おうとする。彼のなかではアラートと人種が結びつき、自己を正当化しようとするのだ。
そしてもちろん、主人公のジョンも人間性を試され、変貌を遂げていく。本作では、ジェラルド・バトラー=ヒーローという図式を完全に消し去る必要がある。導入部でジョンは、不倫によって妻に家を追い出され、戻ってはきたものの、インターホンを押すか自分で鍵を開けるか迷うような人物として描かれている。決して主体性があるとはいえない。
大統領アラートがそんなジョンに及ぼす影響も見逃せない。ジョンの一家はアラートによってコミュニティから引き離され、ある意味で孤立するともいえる。さらに彼は、選抜者からはじかれ、妻子とはぐれ、アラートに翻弄されることによって地獄のような体験をすることになる。
その後のジョンの行動は、彼のなかで感情がせめぎ合っていることを物語る。仕方なく黒人の家族が暮らしていた家に侵入した彼は、テレビの画面に映った自分の姿に激しく動揺し、必死に手や顔を洗うことでおぞましい記憶を消そうとする。ジョンと再会した義父デイルは、何かあったことを敏感に察するが、彼がそれを語ることはない。カナダに向かう一家が、降り注ぐ彗星の破片から避難する場面で、ジョンが火傷を負いながらも燃える車から運転手を救出するのは、彼が背負ったものと無関係ではないだろう。
ウォー監督は、空前絶後の危機的な状況をスペクタクルとして描くだけではなく、極限状態にある個人の内面を強く意識し、複雑な心理や葛藤を炙り出している。 |