君と歩く世界 (レビュー02)
De rouille et d’os / Rust and Bone


2012年/フランス=ベルギー/カラー/122分/シネマスコープ/ドルビーデジタル
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(初出:『君と歩く世界』劇場用パンフレット)

 

 

暴力と苦痛のなかで生を実感する男
――アリと歩く――

 

 たとえば、両脚を失ったシャチの調教師が、ある出会いをきっかけに再び力強く歩み出す物語といわれたら、どんな作品を想像するだろうか。お涙頂戴の映画だと思う人は少なくないはずだ。しかし、ジャック・オディアール監督の『君と歩く世界』は、いい意味で私たちの予想を裏切ってみせる。それは、アリという人物の存在によるところが大きい。

 私たちは、そのアリがステファニーをクラブから自宅まで送るところで、彼がどこか普通とは違っていることに気づく。彼は腫れた手を氷で冷やすために家に上がりたいという。そこで、彼がいるからといわれてしまえば、普通は外で待つしかないだろう。ところがアリは、「だから?」と問い返す。家に上がっても、他人の視線など気にもとめない。そんな違いがステファニーの記憶に残らなければ、ふたりの関係が発展することもなかっただろう。

 両脚を失ったステファニーは、アリのペースに巻き込まれていく。彼は自己の欲望に忠実に生き、迷いなく行動する。泳ぎたければ泳ぐ。ただそれだけだ。ステファニーには、もう一度泳いでみたいが、脚を人目に晒したくはないなどと迷っている暇はない。脚を失う前の彼女は、人に見られることに快感を覚えていた。だから見られることを怖れ、部屋にこもっていた。しかし、アリと共有する時間のなかでは、脚を意識することは、極端にいえばナルシズムに浸っているだけのようにすら思えてくる。

 アリは社会の底辺の過酷な世界を生き、非合法の賭博試合というさらに過酷な世界を生きようとする。確かにそんな環境では、人目を気にしたり、迷っている余裕などはないはずだ。しかしこの映画は、アリを通して経済的に追いつめられる苦しい生活や闘争心がむき出しになるヒリヒリするような世界だけを描いているわけではない。

 そこでぜひとも注目したいのが音楽だ。この映画は、ボン・イヴェールのセカンド・アルバム『ボン・イヴェール』に収められた<Wash>で始まり、デビュー・アルバム『フォー・エマ・フォーエヴァー・アゴー』に収められた<The Wolves(Act I and II)>で終わる。映画に透明感のある独特のトーンをもたらしているこの二曲には、どんな意味が込められているのか。

 筆者は、シンガーソングライター、ジャスティン・ヴァーノンのプロジェクトであるボン・イヴェールが生まれた背景を振り返っておいても無駄ではないと思う。バンドの分裂や彼女との破局、体調不良などの重荷を背負ったヴァーノンは、2006年の冬に父親が所有するウィスコンシンの山小屋にひとりでこもった。ギターやドラム、ホーン、マイクを持ち込んでいた彼は、雪に閉ざされた森のなかで、ボン・イヴェールのデビュー・アルバムになる音楽を作り上げた。つまりこれは、孤独のなかで自己と向き合うことから生まれた音楽で、そこに内省的な響きがあることは偶然ではない。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ジャック・オディアール
Jacques Audiard
脚本 トーマス・ビデガン
Thomas Bidegain
原作 クレイグ・デイヴィッドソン
Craig Davidson
撮影 ステファーヌ・フォンテーヌ
Stephane Fontaine
編集 ジュリエット・ウェルフラン
Juliette Welfling
音楽 アレクサンドル・デスプラ
Alexandre Desplat
 
◆キャスト◆
 
ステファニー   マリオン・コティヤール
Marion Cotillard
アリ マティアス・スーナールツ
Matthias Schoenaerts
サム アルマン・ヴェルデュール
Armand Verdure
ルイーズ セリーヌ・サレット
Celine Sallette
アナ コリンヌ・マシエロ
Corinne Masiero
マルシャル ブーリ・ランネール
Bouli Lanners
リシャール ジャン=ミシェル・コレイア
Jean-Michel Correia
-
(配給:ブロードメディア・スタジオ)
 

 さらにもうひとつ、ステファニーがアリのマネージャーになって賭博試合に臨む場面に流れるブルース・スプリングスティーンの<State Trooper>にも注目すべきだろう。この曲は、彼女が男の世界に踏み出すことを際立たせているが、おそらくそれだけではない。筆者が興味を覚えるのは、比較的新しい曲ではなく、なぜ84年のアルバム『ネブラスカ』に収められたこの曲でなければならなかったのかということだ。

 スプリングスティーンといえば、バンドを従えたワイルドなロックンロールが思い浮かぶが、『ネブラスカ』は違う。彼は思うところがあってニュージャージーの自宅にこもり、二ヶ月かけて曲を書き、ひとりでレコーディングした。このアルバムもまた、孤独のなかで自己と向き合うことから生まれた音楽であり、人間の内に潜む暴力性やそれとは相容れないように思える奇妙な安らぎや静けさが浮かび上がってくる。

 オディアール監督がそんな背景を知っていたのか、鋭い直観で嗅ぎつけたのか定かではないが、内面を強く意識したこれらの音楽が漂わせるトーンとドラマは無関係ではない。この映画ではボン・イヴェールが流れる冒頭から、アリの生き様を描くだけではなく、その内面も掘り下げられていく。

 アリは愛を知らない男なのではなく、おそらくなんらかの事情で愛を怖れている男なのだろう。映画のなかに、彼が姉からなぜ息子のサムを引き取ったのかと問い詰められる場面がある。確かに彼には父親失格といわれても仕方がない面がある。だが、その目には最初から優しさが垣間見える。サムの母親が息子にヤクを運ばせていたことを知り、耐えられなかったのかもしれない。

 いずれにしてもアリは、優しさを内に秘めながら、心を閉ざしている。そのままでは無感覚になってしまうので、格闘技に救いを見出し、暴力と苦痛のなかで生を実感する。それでも、彼が意識していないところで心は揺さぶられている。心は肉体のようには鍛えられない。ステファニーが自分の脚で立つことは、彼を興奮させる。姉を失業に追いやったことで罪悪感も覚える。そして最後に、サムを引き取ったことが、自分が変わるための巡り合せだったことを思い知る。

 これは、心を開くことを怖れていたアリが、孤独のなかで自己と向き合い、喪失の痛みに初めて涙を流し、自ら愛を乞うまでの内面的な旅の物語でもある。


(upload:2013/10/16)
 
 
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