"インディーズの父"と呼ばれる映画監督の故ジョン・カサヴェテスを父に、夫との二人三脚で『フェイシズ』や『こわれゆく女』などの名作を生み出してきた女優のジーナ・ローランズを母に持つニック・カサヴェテス。彼は、そんな両親との絆を確認しながら、監督として成長を遂げてきた。俳優として活動してきた彼が監督デビューを飾った『ミルドレッド』(96)で、子離れしてないことに気づき、自分の人生を見出していくヒロインを演じたのは、ジーナ・ローランズだった。第2作の『シーズ・ソー・ラヴリー』(97)は、父ジョンが映画化を果たせなかったオリジナル脚本を映画化した作品だった。
ニックの新作『きみに読む物語』にも、そんなカサヴェテス・ファミリーの絆を見ることができる。この映画で、アルツハイマー病のために記憶を失いつつある老婦人を演じているのは、ジーナ・ローランズだ。しかし、ファミリーの絆は、8年ぶりの母と息子のコラボレーションだけではない。
たとえば、この映画に描き出されるノアとアリーの物語は、『シーズ・ソー・ラヴリー』のエディとモーリーンの物語を想起させる。エディとモーリーンは、都会の片隅で、愛だけが唯一の存在理由であるかのように激しくお互いを求め合う。だが、若い男女は、愛の激しさゆえに孤独に苛まれ、酒に溺れ、追い詰められていく。妄想にとらわれたエディは、傷害事件を引き起こし、精神病院に収容されてしまう。それから10年後、モーリーンは、裕福なジョーイと結婚し、三人の子供たちと郊外で平穏な家庭生活を送っている。しかし、病院を退院したエディがそこに現われ、彼女は人生の岐路に立たされる。
アリーとノアも激しく惹かれあうが、彼らの階層の違いゆえに、彼女の両親によって引き裂かれてしまう。やがてアリーは、裕福な弁護士ロンに出会い、婚約するが、何気なく手にした新聞のなかにノアの姿を見出したとき、自分を見つめなおし、苦しい選択を迫られることになる。
さらに、そのアリーとノアの物語の語り手となるデュークの姿勢は、『ミルドレッド』のヒロインである未亡人ミルドレッドの選択を思い出させる。サンフランシスコへの栄転が決まった彼女の息子イーサンは、母親と新居で一緒に暮らすことを望んでいる。いつまでも自分を子ども扱いするため、反抗を繰り返してきた娘のアリーも、母親と暮らすことを望むようになる。しかし彼女は、すべてを捨て、自分の人生を歩む決意をする。デュークもまた、成長した子供たちから一緒に暮らすように説得されるが、それを受け入れることはない。彼は、自分の人生を、愛する人と作り上げた物語を生きているからだ。
『ミルドレッド』、『シーズ・ソー・ラヴリー』、そして『きみに読む物語』には、いずれも最後に"旅立ち"がある。その状況は作品によって異なるが、本質は同じだ。かつてニックは、父親についてこんなふうに語っていた。「ジョンは私に本質的なことを教えてくれたのです。他人の言いなりにならず、自分自身を守り抜く。自由というものは、日々闘って勝ち取るものだ」(『ミルドレッド』プレスより引用)。ニックの映画の主人公たちは、最後まで自分自身であり、自由であろうとする。そのために、ここではないどこかへと旅立っていくのだ。
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