『彼女を見ればわかること』は、現代のアメリカを生きる女性たち、その内面への鋭く深い洞察に満ちた秀作だ。監督のロドリゴ・ガルシアは、ラテン・アメリカ文学の巨人ガルシア=マルケスの息子で、これまで撮影監督として活躍し、この作品で自ら脚本を書き、監督デビューを飾った。
映画の舞台は、LA郊外のサン・フェルナンド・ヴァレー。そこに暮らす年齢も職業も異なる女性たちの日常とささやかな転機が、5話構成で綴られていく。サン・フェルナンド・ヴァレーは、戦後いち早く郊外化が進み、アメリカの夢の象徴となった。しかし、荒廃するのも早く、80年代には全米で最も離婚率が高い地域のひとつになっていた。
この映画に登場する女性たちは、もはや誰もそんな型にはまったアメリカン・ファミリーの幻想を抱いてはいない。精神的にも経済的にも自立し、結婚とは違う価値観を見出している。さらには、病や障害を背負った肉親や恋人の面倒を見る立場にもあり、現実の厳しさもわきまえている。しかしそれでも気持ちが揺らぐ時がある。いや、この映画の場合には、だからこそ揺らぐというべきだろう。
5話のなかには、とても深刻な状況もある。銀行の支店長であるレベッカは、不倫関係で妊娠したことに気づき、中絶を決意する。占い師のクリスティーンは、一緒に暮らす彼女が不治の病に侵され、死が間近に迫っている。しかしガルシア監督が関心を持つのは、そんな明確な事実を中心としたドラマではなく、あくまで心の奥の変化であり、それを象徴するような不可解な行動なのだ。
たとえば、年齢的な意味でも落ち着いていて、現実的に見える女医エレインは、占い師を招いて、自分の男運について熱心に聞き入る。レベッカは、彼女に付きまとうホームレスの女に親近感を覚え、手術の前日には、計らずも部下である副支店長と一夜をともにする。息子と二人暮しで、教師をしながら童話を書いているローズは、越してきた隣人が気にかかり、自然と彼の家に足が向いてしまう。
そんな行動の背景には、孤独や不安があるが、さらにその源にあるのは、女としての意識だ。これまで仕事や同居人の面倒を見ることを優先してきた彼女たちは、映画のなかでそれぞれに女を強く意識するようになる。同僚の医師からの電話を心待ちにするエレインは、痴呆症の老母の耳からイヤリングを外し、自分につけてみる。息子がもう大人になっていることを突然知ったローズは、母親から女に戻り、童話をなかなか書き進めなくなる。
レベッカには不倫相手がいるが、それは割り切った関係であり、彼女は職場で女を意識することで、気持ちが揺れだす。クリスティーンは、恋人の口から彼女に惹かれている共通の友人の名前が出たことから、恋人の死とともに自分の未来を見るのも恐れるようになる。第5話の主人公、女性刑事のキャシーは、かつての級友カルメンが自殺した理由を探り、美しく自由奔放な盲目の妹とそれを推理するうちに、女としての感情に目覚めていく。 |