イーディ、83歳 はじめての山登り
Edie


2017年/イギリス/英語/カラー/102分/シネマスコープ
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(初出:『イーディ、83歳 はじめての山登り』劇場用パンフレット)

 

 

亡き父親との約束が、
自己を確立するための冒険に変わるとき

 

[Story] 30年間、夫の介護に人生を捧げてきた83歳のイーディ。そんな苦労も娘からは理解されず、老人施設への入居を勧められ、人生の終わりを感じていた。そんな時、町のフィッシュアンドチップス屋で「追加の注文をしても良い?」と聞いたイーディに、「何も遅すぎることはないさ」と答えた店員。その言葉に閃いたイーディは、かつての夢だったスイルベン山に登ることを突如決意し、たった一人でロンドンから夜行列車に乗りスコットランドへ。偶然出会った地元の登山用品店の青年ジョニーをトレーナーとして雇い、山頂へ登る訓練を始める。イーディの偏屈な態度が災いし、最初は喧嘩を繰り返しながらも、ジョニーの丁寧な指導により、登山グッズの使い方やルートの確認と共に、人に頼ることの大切さも学んでいく。そして準備を整えたイーディは、ついにスイルベン山へ向かうー。

 サイモン・ハンター監督の『Edie』では、83歳の女性イーディが登山に挑戦する。これまで彼女は、健康のためになにか運動をしてきたわけではないし、登山経験もほとんどないに等しい。そんな彼女がなぜスイルベン山を目指すのか。その発端は、今は亡き父親と遠い昔に交わした約束を思い出すことだが、そこには、施設に移ろうとしていることや娘に日記を見られてしまったことなどが絡み合っている。

 イーディが娘に付き添われて施設を訪れる場面が物語るように、彼女は人を寄せ付けない意固地な老人になっている。夫婦生活も子育ても義務でしかなかった彼女は、虚しさにとらわれ、娘からも愛想をつかされる。このまま施設に移れば、過去を悔やみながら孤独に生きるしかない。そんな状況が、彼女を思いもよらない行動に駆り立てていく。

 本作を観ながら筆者が思い出していたのは、神話学者ジョーゼフ・キャンベルが、人々を魅了してやまない英雄譚の本質に迫った『千の顔を持つ英雄』のことだ。英雄の冒険は、無意識が起爆剤になる。本書には、普段は気づかない無意識というものが持つ力が、以下のように魅力的に表現されている。

「しかし何かの一言や、風景の中に嗅いだ匂い、お茶のひとすすり、そして一瞬見たものが魔法のバネに触れて、それがきっかけで危険な使者が頭の中に姿を見せ始めることがある。自分自身と家族を組み入れた安全な枠組みを脅かす危険な存在だ。しかしこの危険な使者はたいへんな魅力の持ち主でもある。怖くもあるが望んでもいる自己の探求という、冒険の世界全体を開ける鍵を持ってくるのである。自らが築き上げ暮らしている世界の破壊、その一部となっている自己の破壊。しかし破壊の後には見事な再建があり、より大胆で汚れのない、より高邁で完全に人間らしい生き方が待っている」

 イーディに起こることは、この記述に集約されている。彼女は、カフェの主人が口にした「何も遅すぎることはないさ」という一言がきっかけになって、安全な枠組みから踏み出し、冒険の世界の扉を開ける。このような冒険は、本書に多大な影響を受けた『スター・ウォーズ』に表れているように、未熟な若者が試練を経て自己を確立する物語の土台になることが多いが、イーディの体験にも無理なく当てはめることができる。


◆スタッフ◆
 
監督/撮影   サイモン・ハンター
Simon Hunter
脚本 エリザベス・オハロラン
Elizabeth O'Halloran
撮影 オーガスト・ジェイコブソン
August Jakobsson
編集 オリー・ストザード
Olly Stothert
音楽 デビー・ワイズマン
Debbie Wiseman
 
◆キャスト◆
 
イーディ   シーラ・ハンコック
Sheila Hancock
ジョニー ケヴィン・ガスリー
Kevin Guthrie
マクローリン ポール・ブラニガン
Paul Brannigan
フィオナ エイミー・マンソン
Amy Manson
ナンシー ウェンディ・モーガン
Wendy Morgan
-
(配給:アット エンタテインメント)
 

 注目したいのは、イーディとキャンプ用品店を営むジョニーとの交流だ。砂浜ではイーディが、父親によくやられた悪戯をジョニーに仕かける。林のなかでは、テントを張る競争に興じる。明らかにイーディは父親との思い出に浸っているが、そんな姿を見ながらふと気づくことがある。これまで彼女が絆を結ぶことができたのはおそらく父親だけで、しかもその絆は彼女の子供の頃とまったくなにも変わっていない。彼女は親離れすることなく結婚し、夫に支配されることになった。自己を確立する機会を逸してしまったため、娘との間に絆を培うこともできなかった。

 そんなイーディが、ガイドに庇護されてスイルベン山に登ったとしたら、それは父親との約束を果たしたことにしかならないだろう。しかし彼女は、出発の直前に単独で登る決心をし、そのときから登山は人生を変える冒険へと変貌を遂げていく。

 そこで確認しておきたいのが、彼女がどんな山に登ろうとしているかということだ。スイルベン山は、標高731mで、尾根の長さが2km。日本で登山者に人気の日本百名山のなかで最も標高が低い筑波山でも877mあるので、決してスケールの大きな山ではない。しかし重要なのは、地勢や山容だ。大地から屹立するようなその特異な山容は、遠方からでもすぐにそれとわかる。独立峰なので、山頂に立てば360度の展望が開ける。そんな地勢や山容が、想像をかき立て、踏破を特別な体験にする。だからスコットランドを象徴する山のひとつになっている。それは、イーディの人生を変える冒険に相応しい舞台といえる。

 イーディはそんな山で、美しくそして過酷な自然と向き合い、試練にさらされる。興味深いのは、そこに他者との触れ合いが盛り込まれていることだ。彼女は、ボートを押すのを手伝ってくれた女性に、きつい言葉で反発してしまう。すぐに態度を和らげるものの、まだ壁を作っていることがわかる。しかし、嵐のなかを彷徨い、たどり着いた山小屋では、大きな変化がある。自分の限界を思い知らされた彼女は、無言の男の善意を素直に受け入れ、心を開く。彼女が、父親から送られた絵葉書を山小屋に残していくのは、自立を示唆している。そこには、「自らが築き上げ暮らしている世界の破壊、その一部となっている自己の破壊」を見ることができるだろう。過去に縛られてきた彼女は、破壊を経て自分の未来を切り拓いていくことになる。

 本作は、イーディの無謀ともいえる冒険を、ときにユーモアも交えながらリアルに描いているだけではない。その冒険は、彼女が生まれ変わり、世界や他者と新たな関係を構築するための重要なイニシエーション(通過儀礼)になっている。

《参照/引用文献》
『千の顔をもつ英雄[新訳版]』上・下 ジョーゼフ・キャンベル●
倉田真木・斎藤静代・関根光宏訳(早川書房、2015年)

(upload:2021/09/20)
 
 
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