[Story] 30年間、夫の介護に人生を捧げてきた83歳のイーディ。そんな苦労も娘からは理解されず、老人施設への入居を勧められ、人生の終わりを感じていた。そんな時、町のフィッシュアンドチップス屋で「追加の注文をしても良い?」と聞いたイーディに、「何も遅すぎることはないさ」と答えた店員。その言葉に閃いたイーディは、かつての夢だったスイルベン山に登ることを突如決意し、たった一人でロンドンから夜行列車に乗りスコットランドへ。偶然出会った地元の登山用品店の青年ジョニーをトレーナーとして雇い、山頂へ登る訓練を始める。イーディの偏屈な態度が災いし、最初は喧嘩を繰り返しながらも、ジョニーの丁寧な指導により、登山グッズの使い方やルートの確認と共に、人に頼ることの大切さも学んでいく。そして準備を整えたイーディは、ついにスイルベン山へ向かうー。
サイモン・ハンター監督の『Edie』では、83歳の女性イーディが登山に挑戦する。これまで彼女は、健康のためになにか運動をしてきたわけではないし、登山経験もほとんどないに等しい。そんな彼女がなぜスイルベン山を目指すのか。その発端は、今は亡き父親と遠い昔に交わした約束を思い出すことだが、そこには、施設に移ろうとしていることや娘に日記を見られてしまったことなどが絡み合っている。
イーディが娘に付き添われて施設を訪れる場面が物語るように、彼女は人を寄せ付けない意固地な老人になっている。夫婦生活も子育ても義務でしかなかった彼女は、虚しさにとらわれ、娘からも愛想をつかされる。このまま施設に移れば、過去を悔やみながら孤独に生きるしかない。そんな状況が、彼女を思いもよらない行動に駆り立てていく。
本作を観ながら筆者が思い出していたのは、神話学者ジョーゼフ・キャンベルが、人々を魅了してやまない英雄譚の本質に迫った『千の顔を持つ英雄』のことだ。英雄の冒険は、無意識が起爆剤になる。本書には、普段は気づかない無意識というものが持つ力が、以下のように魅力的に表現されている。
「しかし何かの一言や、風景の中に嗅いだ匂い、お茶のひとすすり、そして一瞬見たものが魔法のバネに触れて、それがきっかけで危険な使者が頭の中に姿を見せ始めることがある。自分自身と家族を組み入れた安全な枠組みを脅かす危険な存在だ。しかしこの危険な使者はたいへんな魅力の持ち主でもある。怖くもあるが望んでもいる自己の探求という、冒険の世界全体を開ける鍵を持ってくるのである。自らが築き上げ暮らしている世界の破壊、その一部となっている自己の破壊。しかし破壊の後には見事な再建があり、より大胆で汚れのない、より高邁で完全に人間らしい生き方が待っている」
イーディに起こることは、この記述に集約されている。彼女は、カフェの主人が口にした「何も遅すぎることはないさ」という一言がきっかけになって、安全な枠組みから踏み出し、冒険の世界の扉を開ける。このような冒険は、本書に多大な影響を受けた『スター・ウォーズ』に表れているように、未熟な若者が試練を経て自己を確立する物語の土台になることが多いが、イーディの体験にも無理なく当てはめることができる。 |