ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ
Sicario: Day of the Soldado Sicario: Day of the Soldado (2018) on IMDb


2018年/アメリカ/カラー/122分/スコープサイズ/ドルビーデジタル
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(初出:『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』劇場用パンフレット)

 

 

人間ドラマとして新生面を切り拓く、
少年と少女のイニシエーション

 

[ストーリー] アメリカ国内の商業施設で市民15人の命が奪われる自爆テロ事件が発生。 犯人一味がメキシコ経由で不法入国したと睨んだ政府は、 国境地帯で密入国ビジネスを仕切る麻薬カルテルを混乱に陥れる任務を、 CIA工作員のマット・グレイヴァーに命じる。

 それを受けてマットは、 カルテルへの復讐に燃える旧知の暗殺者アレハンドロに協力を要請。 麻薬王の娘イサベルを誘拐し、 カルテル同士の戦争を誘発しようと企てる。 しかしその極秘作戦は、 敵の奇襲やアメリカ政府の無慈悲な方針変更によって想定外の事態を招いてしまう。 メキシコの地で孤立を余儀なくされたアレハンドロは、 兵士としての任務と復讐心、そして人質として保護する少女の命の狭間で、 過酷なジレンマに直面していく――。

[以下、本作のレビューになります]

 『ボーダーライン』の続編『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』では、メキシコの麻薬カルテル同士の内戦を引き起こすために、CIA特別捜査官マットと暗殺者アレハンドロが再び手を組む。

 コロンビアのボゴタに暮らすアレハンドロの前に現れたマットが、「今回はルールなし。自由にやれ」と語ったように、彼らは手段を選ばない。マタモロス・カルテルの弁護士を白昼の路上で殺害し、今度は麻薬王カルロス・レイエスの娘イサベルを誘拐し、マタモロスの仕業に見せかける。だが、レイエスの息がかかったメキシコ警察の一団と壮絶な銃撃戦を繰り広げたことで、状況は一変し、アレハンドロとマットはそれぞれに窮地に立たされる。

 この続編は、アクションがスケールアップしているだけでなく、人間ドラマとして新生面を切り拓いている。その鍵を握るのは、親と子の関係だ。

 親子、あるいは親子を連想させるエピソードは、前作にも盛り込まれていた。マットの特殊チームの活動と並行するように、国境のメキシコ側の街ノガレスに暮らす警官シルビオとサッカー好きの息子の日常の断片が挿入され、終盤でシルビオとアレハンドロの運命が交錯する。作戦終了後、FBI捜査官ケイトの前にアレハンドロが現れ、作戦が合法的に行われたことを証明する書類にサインをさせる場面では、彼が「怯えると少女のようだな。殺された娘を思い出す」と語る。

 そうしたエピソードで中心になっているのは親の視点だった。映画は、サッカーに興じるシルビオの息子が銃声を耳にする場面で終わり、少年が何らかの変貌を遂げることはない。これに対して続編では、子の視点が掘り下げられ、その変貌が描き出される。

 本作には、前作のケイトに代わって、ミゲルとイサベルという新しいキャラクターが登場する。テキサス国境地帯にあるマッカレンに暮らし、中学に通う少年ミゲルは、マタモロス・カルテルに属する従兄に誘われ、カルテルで働くようになる。麻薬王の娘イサベルは、先述したようにマットのチームに誘拐され、状況が一変したことから、アレハンドロとともに過酷なサバイバルを余儀なくされていく。

 そんなふたりの体験はまったく異なるように見えるが、実は重要な共通点がある。

 ミゲルをめぐるドラマには、従兄との間でこんなやりとりがある。ミゲルが「マズいんだ。帰らないと親父が…」と言い出すと、従兄が「ふざけんな、ミゲル。お前には新しい親父ができたんだ。彼らに会ったら堂々としてろ。もう大人だろ?」と返答する。一方、イサベルは、髪を切り、カリーナを名乗り、彼女に父親役として雇われたように装うアレハンドロとともに国境を越えようとする。


◆スタッフ◆
 
監督   ステファノ・ソッリマ
Stefano Sollima
脚本 テイラー・シェリダン
Taylor Sheridan
撮影 ダリウス・ウォルスキー
Dariusz Wolski
編集 マシュー・ニューマン
Matthew Newman
音楽 ヒドゥル・グドナドッティル
Hildur Guðnadóttir
 
◆キャスト◆
 
アレハンドロ   ベニチオ・デル・トロ
Benicio del Toro
マット・グレイヴァー ジョシュ・ブローリン
Josh Brolin
イサベル イザベラ・モナー
Isabela Moner
ミゲル イライジャ・ロドリゲス
Elijha Rodriguez
ジェームズ・ライリー マシュー・モディーン
Matthew Modine
スティーヴ・フォーシング ジェフリー・ドノヴァン
Jeffrey Donovan
シンシア・フォード キャサリン・キーナー
Catherine Keener
-
(配給:KADOKAWA)
 

 ともに父親という存在が絡むこれらのエピソードは、ふたりが体験しつつあることが、子供が大人になるためのイニシエーション(通過儀礼)であることを巧みに示唆している。

 『スター・ウォーズ』にも多大な影響を及ぼした神話学者ジョーゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』によれば、イニシエーションでは、「自らが築き上げ暮らしている世界の破壊、その一部となっている自己の破壊」が行われるという。ミゲルもイサベルも、本人がそれを望んだかは別として、これまでの日常から分離され、新たな領域に踏み出し、自己を確立していくことになる。

 しかも本作では、そんなイニシエーションが国境と深く結びついている。ミゲルは密入国者たちを先導して国境を越えることで、カルテルの一員として認められる。さらに、テキサスのモールの駐車場で睨み合ったアレハンドロと再会することで、その後の人生を決定づけるような一線を越える。30部屋の豪邸で何不自由ない生活を送ってきたイサベルは、銃撃戦に巻き込まれ、別人になり、国境の現実を目の当たりにすることで変貌を遂げていく。彼らは、物理的に境界を越えると同時に、自己の内面でも境界を越えている。

 では、アレハンドロとマットは、そんなミゲルやイサベルとどのように絡み合うのか。状況が一変したことで、マットは苦渋の決断を迫られる。そして、アレハンドロは命令を拒絶し、イサベルを守ろうとする。彼がイサベルに殺された娘を重ねていることは間違いないが、そこだけを見てしまうと、ドラマの全体像がぼやけてしまうだろう。

 重要なのは、アレハンドロとマットの足並みが乱れることで、イサベルとミゲルの運命が大きく変わることだ。もしマットが国境で救出する約束を守ったとしたら、イサベルは密入国者に紛れて国境を越えようとするような危ない橋を渡ることはなかっただろう。ミゲルも、アレハンドロと再会しなければ、カルテルの手下のひとりになるだけで、埋もれていたかもしれない。

 暗殺者と父親の二面性を持つアレハンドロは、イサベルとミゲルのイニシエーションにおいて重要な役割を果たし、三者は敵味方とは違う次元でトライアングルを形作っていく。本作の前半では、アメリカ政府やCIAが仕掛けるルール無用の活動が際立ち、イサベルとミゲルは、怯える少女と不安に駆られる少年に過ぎない。しかし、イニシエーションによって力関係が変化していく。三者のトライアングルは、アメリカ政府やCIAがゲームのようにリセットしようとしても、そうすることができない過酷な現実を象徴している。

 さらに、三者の結びつきは、台詞や説明的な描写を削ぎ落とした脚本と演出によって、謎めいたトライアングルにもなる。アレハンドロとの絆を無惨に断ち切られたイサベル、人生を決定づけるような一線を越えたミゲル、そして、死の淵まで追いやられたアレハンドロ。彼らのなかにどんな感情がうごめいているのかは、私たちの想像に委ねられている。

 前作で、ケイトにサインをさせたアレハンドロは、「小さな街へ行け。法秩序が今も残る場所へ。君にここは無理だ。君は狼ではない。ここは狼の地だから」と言い放って立ち去る。それを踏まえるなら、本作でアレハンドロは、ミゲルという狼に出会ったといえるかもしれない。

《参照/引用文献》
『千の顔をもつ英雄[新訳版]』上・下 ジョーゼフ・キャンベル●
倉田真木・斎藤静代・関根光宏訳(早川書房、2015年)

(upload:2019/11/16)
 
 
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