インディアナポリスの夏
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(1997) on IMDb


1997年/アメリカ/カラー/103分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:『インディアナポリスの夏』劇場用パンフレット、加筆)

 

 

50年代のサバービアで孤立し
出口を求める若者たち

 

 MTV出身の映画監督といえば、まずなによりもその映像表現に注目が集まるものだが、映画界でも評価される監督はやはり映像だけではなく独自のテーマを持っている。

 その好例が、『エイリアン3』『セブン』『ゲーム』のデイヴィッド・フィンチャーだろう。彼は、エイリアンの幼生をヒロインの身体に埋め込んだり、刑事や富豪を七つの大罪をなぞる周到な罠や謎めいたゲームの世界に引き込むことによって、主人公の内的な葛藤と宗教的なイメージが絡み合う独自の映像世界を切り拓いてきた。

 そしていま、MTV界出身の監督としてめきめき頭角を現わし、フィンチャーと肩を並べそうな勢いを感じさせるのが、この『インディアナポリスの夏』の新鋭マーク・ペリントンだ。

 日本で最初に公開された彼の作品は、二作目のスリラー『隣人は静かに笑う』だが、この映画には新鮮な衝撃をおぼえた。隣人が実は見かけとは違う危険な人物で、主人公が深刻なトラブルに巻き込まれる話は決して珍しくない。しかしこの作品は、平穏なサバービア(郊外住宅地)の安全と現実的なテロリズムの危険を巧みに結びつけ、予想もしない結末に私たちを導く。

 このドラマには、95年にオクラホマ・シティで起こった連邦ビル爆破事件をヒントにした事件が盛り込まれ、主人公の教授は、一刻も早く不安を消し去りたいがために単独犯という発表を鵜呑みにしてしまう世間を批判的に見ている。つまり彼は、真相を追究することなく見せかけの安全に逃げ込もうとすれば、いずれ恐ろしい出来事が再び起こるという危機意識を持っている。だが、そんな人間が自分の足元にあるサバービアの見せかけの安全に裏切られ、危機意識までもが利用されていくことになるのだ。

 このサバービアへの鋭い視点はただ者ではないと思い、筆者が公開を待ち望んでいたのが、アメリカで高く評価されていたペリントンのデビュー作『インディアナポリスの夏』だった。


◆スタッフ◆
 
監督   マーク・ペリントン
Mark Pellington
原作/脚本 ダン・ウェイクフィールド
Dan Wakefield
撮影 ボビー・ブコウスキー
Bobby Bukowski
編集 レオ・トロムベッタ
Leo Trombetta
音楽 トマンダンディ
Tomandandy
 
◆キャスト◆
 
ソニー   ジェレミー・デイヴィス
Jeremy Davies
ガナー ベン・アフレック
Ben Affleck
マーティ・ピルチャー レイチェル・ワイズ
Rachel Weisz
ゲイル・タイヤー ローズ・マクガワン
Rose McGowan
バディ・ポーター エイミー・ロケイン
Amy Locane
アルマ・バーンズ ジル・クレイバーグ
Jill Clayburgh
ニーナ・カッセルマン レスリー・アン・ウォーレン
Lesley Ann Warren
-
(配給:アミューズ)
 

 50年代を背景にしたこの映画は、インディアナポリスに暮らすソニーとガナーというふたりの若者を主人公にした青春映画のように見える。彼らの関心はまずなによりも女の子にある。スポーツマンのガナーは美術館で出会った画学生のマーティに心を奪われ、猛烈なアタックによって交際にこぎつける。内向的な写真家ソニーは、結婚ばかりせがむガールフレンドに嫌気がさしている。そこで、マーティに紹介されたゲイリーにアタックするが、屈辱を味わい、自殺をはかる。その一方では、彼らの母親たちがそれぞれに息子を束縛し、あるいは戸惑わせる。

 しかし、ペリントンが関心を持っているのは、恋愛やセックスや母子の関係だけではない。この映画は、『隣人は静かに笑う』に描かれたようなサバービアの生活の出発点を扱っている。50年代、人々は「パパは何でも知っている」のようなホームドラマや様々な広告から浮かび上がる幸福なアメリカン・ファミリーのイメージに魅了され、続々と都市からサバービアへ転居していった。

 ところが、そのイメージが生まれた背景を探ってみると、この幸福が怪しいものになってくる。当時は戦後の住宅不足を解消するための政策がとられ、郊外の一戸建てが安く手に入れられるようになった。テレビという新しい娯楽が急速に普及し、大量消費時代が始まった。サバービアに転居すれば、都市が抱える人種対立、犯罪、過密などの問題、さらに戦後を覆う冷戦の脅威を忘れることができた。

 これらは考えてみるとすべて外的な要因であることがわかる。つまり幸福のイメージは外側から作られたもので、実際には中身は空っぽだった。しかもこのイメージには、当時の保守的な教会のモラルが反映されてもいた。

 『インディアナポリスの夏』は、ソニーとガナーが朝鮮戦争から故郷に戻ってくるところから始まる。それは、彼らがサバービアの外の世界をすでに知っていることを意味する。ペリントンは、そんな主人公たちが空虚なサバービアのなかで感じる疎外感、喪失感をMTV出身の監督ならでは映像センスで描き出していく。

 信仰によって息子を縛ろうとする母親やテレビのホームドラマから抜け出たような家庭、異様な空気が漂う教会、不安定な構図と暗いトーンのなかに蠢くソニーの衝動や欲望、美術館に展示されたジャクソン・ポロックの絵画などのイメージが生み出すコントラストが、サバービアと個人の相克を際立たせる。

 この映画は突き詰めれば、外の世界を知ってしまった主人公たちが、無意識のうちに出口を求め、そこを出て行くまでを描いているといえる。ペリントンは、孤立する若者を通して、50年代のサバービアの閉塞感を鮮やかに浮き彫りにしている。


(upload:2013/10/20)
 
 
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