スリラー映画には“衝撃のラスト”といううたい文句がつきものだが、MTV界出身の新鋭マーク・ペリントンが監督したこの『隣人は静かに笑う』は、まったく嘘偽りのない衝撃のラストを体験することができる映画だ。
主人公の大学教授マイケルに対して非常に好意的に見えた隣人には秘密があり、何か途方もなく危険なことを企んでいることが次第に明らかになる。主人公は着実に窮地に追い込まれていく。しかしそれでもこの隣人の行動の真意は見えてこない。観客は何が進行しているのかつかみきれない宙吊り状態のまま、必死に窮地を脱しようとする主人公を追いかけ、予想もしないラストに遭遇して愕然とする。まさに衝撃のラストだ。
しかしこの映画の見所は、周到に仕組まれた陰謀とすべて明らかになるラストだけではない。確かにラストのインパクトは強烈だが、時間が経つにしたがって別な恐怖がじわじわとよみがえってくるのだ。それがどのような恐怖であるのかは、『セブン』で脚光を浴びて以来、注目の的になっているタイトル・デザイナー、カイル・クーパーの手になるタイトルバックのイメージが端的に物語っている。
このタイトルバックのモチーフになっているのは、白いフェンスに緑の芝生、小奇麗な一戸建てが並ぶような明るく平穏なサバービア(郊外住宅地)の風景の断片だが、クーパーはそれをダークで神経を逆なでするような不気味な世界に変えてしまう。そのイメージは、あたかも表面的には平穏に見えるサバービアの深層を透視したときに浮かび上がるものを暗示しているようにも見える。
そして実際、この映画の本編にはそのような視点が盛り込まれ、それが異様な恐怖感を生みだしているのだ。隣人が実は見かけとは違う危険な人物で、主人公が思いもよらない深刻なトラブルに巻き込まれていくというような作品は必ずしも珍しいものではないが、この映画は“安全”や“安心”をキーワードとして一見平穏なサバービアの深層に迫っていくことになる。
このドラマでまず注目すべきなのは、主人公のマイケルがテロリズムを研究する教授で、特に14ヶ月前にセントルイスで起こったビル爆破事件に深いこだわりを持っているところだ。この事件のヒントになっているのが、’95年の4月にオクラホマ・シティで実際に起こり、168人もの命を奪った連邦ビル爆破事件であることは容易に察せられる。このテロによって人々のあいだには底知れぬ恐怖が広がった。ニューヨークのような大都市ではなくオクラホマ・シティという田舎でこのような事件が起こったということは、アメリカのどこで起こっても不思議がないことを意味していたからだ。それだけにこの映画を観る人は必然的に安全ということを意識する。
映画のマイケルは大学における講義のなかでこの安全について学生たちに印象的な警告をする。実際のビル爆破事件では逮捕された犯人以外に共犯者がいなかったのかという疑問が浮上したが、マイケルもまたセントルイスの事件に対して同じ疑問を抱いている。そして一刻も早く不安から解放され安心を手に入れたいがために、単独犯という発表を受け入れてしまう世間の人々に警告を発するのだ。 |