『FORMA』に登場する綾子は、父親との二人暮らしで、この父娘の関係が物語の鍵を握る。母親はだいぶ前に家を出てしまったらしく、その不在が、父親と娘の感情のズレ、溝を生み出している。そして、そんな父娘の軋轢と由香里が無関係ではないことがやがて明らかになる。さらに細かいことをいえば、登場人物の孤独や孤立を表現するために、人物とベッドという構図を多用することも、2本の映画の空気を似たものにしているといえる。
ハネケの作品では、登場人物のあいだに支配と服従の関係が浮かび上がり、暴力的な繋がりがモラルに縛られることなく、冷徹に描き出される。『父の秘密』にはスクール・カーストがあり、父親がシェフとして働く職場における上下関係があった。『FORMA』では、会社の上下関係が際立つ。綾子は由香里を幼なじみの友だちとして自分が働く会社に誘うように見えるが、実際に由香里が働きだすと上司と部下の関係で彼女を縛り、陰湿ないじめを繰り返すようになる。
また、『FORMA』は、リューベン・オストルンドの『プレイ』とも共通点がある。それはカメラワークだ。『プレイ』は、モールの広場における白人少年と黒人少年のグループのやりとりをロングショットでとらえる映像から始まる。『FORMA』でも、ロングショットやミドルショットが効果的に使用され、登場人物たちの関係や感情が炙り出されていく。
話は『父の秘密』と『FORMA』の接点に戻るが、どちらの映画も終盤で陰湿ないじめから物理的な暴力へとエスカレートする。父娘の関係でいえば、娘は激しい暴力に晒され、その結果が父親に重くのしかかる。そしてどちらもエンディングから前半を振り返らざるをえなくなる。
『父の秘密』の父親は過去をすべて消し去ろうと躍起になり、過去が脳裏をよぎるたびに衝動的な行動に出る。娘は過去に対して異なる想いを抱いているようだが、不安定な父親に気を使い、心を閉ざしてしまう。たとえば父親が、ある日突然、娘の髪が異様に短くなっていることに疑問を抱けば、未来は変わっていたかもしれない。だが、心のすれ違いが取り返しのつかない事態を招いてしまう。
『FORMA』では、終盤にエスカレートする物理的な暴力が24分間の長回しで浮き彫りにされる。その映像は圧巻だが、筆者はやはりそこから振り返らざるをえなくなる前半が怖いと思う。この映画は大きく前半と後半に分けられ、前半ではドラマが淡々と進み、後半では時間軸の操作によって絡み合った関係が24分間に凝縮される。
そんな後半は、前半で描かれたドラマの意味を変えてしまう。自宅で夕飯の支度をする綾子が、父親との会話のなかでさり気なく由香里の名前を口にすること、ささやかな同窓会を装って由香里を自宅に招こうとすることなどが、異様な緊張をはらむ。一方、父親は娘が突然見せる涙に、ただ立ち尽くすことしかできない。
『父の秘密』と同じように、私たちはこの父娘が、基本的な関係性を構築する基盤を見失い、お互いに相手の退路を断ってしまうような悪循環を生み出していたことに気づく。結果からいえばそれもまた暴力であり、父娘は暴力で繋がっていたことになる。 |