ハッチング ―孵化―
Pahanhautoja / Hatching


2022年/フィンランド/フィンランド語/カラー/91分/ヴィスタ/5.1chデジタル
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(初出:)

 

 

フィンランドの新鋭女性監督が放つボディ・ホラー
少女のドッペルゲンガーが表層に囚われた家族を翻弄する

 

[Introduction] 2022年サンダンス映画祭(ミッドナイト部門)でプレミア上映されるや、その美しくも不穏な世界観で世界を驚愕させ、フランスで開催されるジャンル映画に特化した国際映画祭、ジェラルメ国際ファンタスティカ映画祭でもグランプリを受賞した『ハッチング―孵化―』。少女が孵化させた卵が、絵に描いたような幸せな家族のおぞましい真の姿をさらしていく―。

 主人公の少女ティンヤを演じるのは1200人のオーディションから選ばれたシーリ・ソラリンナ。母親を喜ばせるために自分を抑制する、この年代特有の儚さを見事に演じきっている。母親役はフィンランドで多くの作品に出演するソフィア・ヘイッキラ。理想の家族像を作り上げ、娘を所有物として扱う自己中心的な母親を演じている。

 メガホンをとるのは多くの短編作品を世界の映画祭に出品して高い評価を受け、今回が長編デビュー作となる新鋭女性監督ハンナ・ベルイホルム。北欧の明るさの中に潜む恐怖を見事に切り取ってみせている。(プレス参照)

[Story] 北欧フィンランド。12歳の少女ティンヤは、完璧で幸せな自身の家族の動画を世界へ発信することに夢中な母親を喜ばすために全てを我慢し自分を抑え、新体操の大会優勝を目指す日々を送っていた。ある夜、ティンヤは森で奇妙な卵を見つける。家族に秘密にしながら、その卵を自分のベッドで温めるティンヤ。やがて卵は大きくなりはじめ、遂には孵化する。卵から生まれた‘それ’は、幸福な家族の仮面を剥ぎ取っていく...。

[以下、本作の短いレビューになります]

 昔のホームドラマ(シットコム)や広告から抜け出したような幸福な家族を演じる一家に揺さぶりをかける本作もまた、サバービア(郊外)ものの1本といってよいだろう(『サバービアの憂鬱――アメリカン・ファミリーの光と影』参照)。


◆スタッフ◆
 
監督   ハンナ・ベルイホルム
Hanna Bergholm
脚本 イリヤ・ラウチ
Ilja Rautsi
撮影 ヤルッコ・T・ライネ
Jarkko T. Laine
編集 リンダ・チルドマルム
Linda Jildmalm
音楽 スタイン・ベルグ・スヴェンドセン
Stein Berge Svendsen
 
◆キャスト◆
 
ティンヤ   シーリ・ソラリンナ
Siiri Solalinna
母親 ソフィア・ヘイッキラ
Sophia Heikkila
父親 ヤニ・ヴォラネン
Jani Volanen
テロ レイノ・ノルディン
Reino Nordin
-
(配給:ギャガ)
 

 筆者がまず連想したのは、ピーター・ウィアーの『トゥルーマン・ショー』とフランソワ・オゾンの『ホームドラマ』。本作の母親は、『トゥルーマン・ショー』の主人公トゥルーマンのように、知らないうちに幸福な家族を演じているわけではないが、彼女が中心となって構築されている幸福の過剰な人工性には近いものを感じる。『ホームドラマ』では、父親が持ち帰ったペットのネズミが家族に奇妙な影響を及ぼし、妻と子供たちが同性愛、自殺未遂、SM、乱交パーティや近親相姦を繰り広げていく。本作でも、少女ティンヤが持ち帰った異質な存在が、作りものの幸福な家族に揺さぶりをかけていく。

 しかし、卵から孵った“それ”が擬態し、ティンヤのドッペルゲンガーになっていくとき、連想する作品は、黒沢清の『ドッペルゲンガー』に変わる。この映画では、医療機器メーカーで車椅子型の人工人体の開発を進めている技術者・早崎の前に、ある日突然、瓜二つの分身が現れ、彼に力を貸すと言い出す。

 やがて早崎はその分身を利用するようになる。彼が研究に集中できなかったのは、上司や会社がプロジェクトや予算などに口を出してくるからだった。すると分身は研究室を勝手に破壊し、解雇された早崎に別の研究室や助手を提供する。分身は汚れ仕事をすべて引き受け、早崎の手足となっていくが――。

 本作のティンヤはドッペルゲンガーを利用するわけではない。むしろ止めようとする。だが、本質的には同じ問題が掘り下げられる。つまり、ドッペルゲンガーを排除すれば少女はもとの自分に戻れるのか、ということだ。 

 その問いに対する答えとなるラストを見ると、本作の主人公はティンヤではなく、母親のように思えてくる。完璧な家族を求める母親の凄まじい圧力が、少女のドッペルゲンガーを生みだし、ふたつのものをひとつに戻すことはできず、象徴的な意味で少女を別人に変えてしまい、一家を悪夢へと引き込んでいく(ことを予感させる)。そこには確かに、家族に起こり得る現実を垣間見ることができる。


(upload:2022/03/27)
 
 
《関連リンク》
フランソワ・オゾン 『ホームドラマ』 レビュー ■
ピーター・ウィアー 『トゥルーマン・ショー』 レビュー ■
リチャード・アイオアディ 『嗤う分身』 レビュー ■
黒沢清 『ドッペルゲンガー』 レビュー ■
サバービアの憂鬱――アメリカン・ファミリーの光と影 ■

 
 
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