バード
Bird


1988年/アメリカ/カラー/160分/ヴィスタ
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(初出:「CITY ROAD」1989年、加筆)

 

 

モダン・ジャズの先駆者バードの孤独な旅
“冷たく孤高なサウンド”の秘密に迫る

 

 クリント・イーストウッドは10代の頃から、ふところに余裕があれば、ディジー・ガレスピーやコールマン・ホーキンス、レスター・ヤングー、チャーリー・パーカーらの演奏を聴きに行くほどのジャズ・ファンだった。その影響は彼の映画にも様々なかたちで表れている。

 たとえば、イーストウッドの記念すべき初監督作品『恐怖のメロディ』(71)の原題は“Play Misty for Me”で、エロール・ガーナーの<ミスティ>が印象的な使われ方をされている。さらに映画の後半には、DJ役のイーストウッドがモンタレー・ジャズ・フェスティバルを取材する場面があり、ステージや会場の雰囲気がしっかりととらえられている。ステージの幕が開くと、キャノンボール・アダレイ・グループが演奏を始める。ヨーロッパからやって来て活動を開始し、後にウェザー・リポートを結成するジョー・ザヴィヌルの若き日の姿も見られる。

 それから、『ガントレット』(77)の音楽では、ジョン・ファディスとアート・ペッパーというふたりのジャズメンのソロが大きくフィーチャーされていた。イーストウッドは、ニューポート・ジャズ・フェスティバルでたまたまファディスのステージに接し、そのプレイに惚れ込み、この映画の音楽のために口説き落としたのだという。他にも、『ダーティ・ハリー3』(76)のビッグバンド・サウンドや『タイトロープ』(84)のミシシッピーの遊覧船やカーニバルを彩るニューオーリンズ・ジャズなども思い出される。だが、そもそもイーストウッドが起用する作曲家は、ラロ・シフリンにしても、ジェリー・フィールディングにしても、レニー・ニーハウスにしても出発点はジャズなのだから、印象に残るのも当然といえば当然なのだ。

 そして、イーストウッドが出会ったジャズマンのなかで、最も強く惹きつけられたのが、モダン・ジャズの先駆者であるチャーリー・“バード”・パーカーだった。マーク・エリオットの評伝『クリント・イーストウッド――ハリウッド最後の伝説』には、以下のような記述がある。

音楽の感情を揺さぶる力の大きさに目を開かせてくれたのは、誰よりもパーカーだった。クリントはのちにリチャード・シッケルにこう語っている。『あれほど自信たっぷりに演奏するミュージシャンは見たことがなかった。当時、まだジャズはショービジネスとして盛んではなかったが、パーカーが立って演奏しているだけで、なんて表現豊かな音楽だ、と思ったものだ』パーカーの冷たく孤高なサウンドはクリントを魅了してやまなかった

 イーストウッドのパーカーの生涯を描く『バード』は、そんな「冷たく孤高なサウンド」の秘密に迫る作品といってもいいだろう。この映画では、フラッシュバックが多用され、若き日のカッティング・コンテストへの挑戦、ジャズ・クラブが乱立する52丁目の喧騒、チャン・パーカーとの愛と彼女の献身、西海岸への新天地開拓、愛児の死といった多様なエピソードが盛り込まれていく。

 そのなかでも筆者がここで特に注目したいのが、バードとユダヤ人トランペッター、レッド・ロドニー(バードのグループの後期に実際に在籍した)の間に浮かび上がるコントラストだ。イーストウッドの作品には、バディ・ムービーの設定を取り込んで、自己と他者の関係を浮き彫りにする傾向があるが、この映画も例外ではない。ふたりの関係は、深南部への楽旅で最高潮に達するが、まずはその伏線となるエピソードを確認しておこう。

 ロドニーは、金に困っているバードのバンドにおいしい話を持ってくる。彼の同胞であるユダヤ人たちの結婚式で演奏するという仕事だ。この結婚パーティの場面では、華やかな雰囲気の中で演奏するモダン・ジャズの先駆者バードの孤独が淡々と映しだされる。


◆スタッフ◆
 
監督/製作   クリント・イーストウッド
Clint Eastwood
脚本 ジョエル・オリアンスキー
Joel Oliansky
撮影 ジャック・N・グリーン
Jack N.Green
編集 ジョエル・コックス
Joel Cox
音楽 レニー・ニーハウス
Lennie Niehaus
 
◆キャスト◆
 
チャーリー・パーカー   フォレスト・ウィティカー
Forest Whitaker
チャン・パーカー ダイアン・ヴェノーラ
Diane Venora
レッド・ロドニー マイケル・ゼルニカー
Michael Zelniker
ディジー・ガレスピー サミュエル・ライト
Samuel E.Wright
バスター・フランクリン キース・デイヴィッド
Keith David
-
(配給:ワーナー・ブラザース)
 

 そして、ドラマは深南部への楽旅に移行する。まず、深南部では、ニューヨークのクラブのように黒人がはっきりと自己主張するビ・バップをそのまま演奏するわけにはいかない。そこで彼らは、ダンス・バンドやブルース・バンドといった体裁をとる(そんな所にすでに名をなしたはずのバードが金のために行かなければならないこと自体、大いなる悲劇ではあるが、映画はそれを説明するようなことはしない)。そして納屋らしき建物のなかで公演が行われる。観客は黒人が1階で、白人が2階に陣取っている。バードの演奏に合わせて黒人たちは踊りまくる。バードの同胞たちはモダン・ジャズという彼の創造を知らない。一方、白人たちは、バードをただただ見下ろすだけだ。

 では、ロドニーはどんな立場にあるのかといえば、この当時、白人が黒人のバンドに混じって深南部を旅するというのは、自殺行為に近かった。ちなみに、時代背景は異なるが、『センチメンタル・アドベンチャー』(82)には、イーストウッド扮するシンガーが、ミンストレル・ショーの芸人のように顔を黒塗りにして、黒人のミュージシャンたちに混じって演奏したというエピソードが出てくる。

 そこで、バードの発案で(これは実話だ)、ロドニーは白子のニグロでブルースシンガーという触れ込みで楽旅する。そして、この旅で、初めてロドニーは、バードを追うようにヘロインに手を出そうとする。なぜなら、深南部という空間で白人とも黒人とも同化できない場所におかれたロドニーが、この時初めてバードの孤独を身をもって知るからだ。その恐怖と緊張が彼をヘロインに駆り立てるのだ。

 このように書くと、ニューヨークに戻れば、ロドニーにユダヤ人の同胞がいるように、バードにも、彼の同胞がたくさんいるではないかと思う人もいることだろう。しかし、イーストウッドは、バードの居場所というものについて、素晴らしい解釈と演出によってこれを鮮やかに否定してみせる。

 注目しなければならないのは、スローモーションで宙を舞い、床に落ちてけたたましい音をたてるシンバルのイメージだ。イーストウッドは、それを死に至るまでのバードの回想に頻繁に挿入する。このイメージの起源は、カッティング・コンテストに挑戦した若き日のバードが、自らの音楽的な未熟をドラマーにたしなめられ、屈辱を受けるエピソードにある。そして、シンバルを投げられたときに、バードは心のうちで同胞との連帯から自分を切り離したのだとイーストウッドが考えていることが、わかる人にはわかるはずだ。さらにバードは、このイメージが挿入されるたびに世界との繋がりを失い、より孤独な旅をつづけることになる。

 イーストウッドは、同胞との連帯を断ち切ったバードが、あらゆる繋がりを断ちながら、なおも居場所を求めて旅するステージの上で、瞬時に消え去り、二度と戻らない肉声のようなアルトの音のなかに居場所を見出すことこそが、彼の即興の真髄なのだと映像だけでさらりと語ってしまうのだ。

 かつてバードの音楽は、ルイ・アームストロングからジャズではないといわれた。イーストウッドが最初に監督した西部劇『荒野のストレンジャー』は、ジョン・ウェインに本当の西部を描いていないといわれた。この映画では、ひとたび自身を伝統から断ち切り、孤独な旅を通してそれを更新し、先駆者となったバードとイーストウッドの精神が確かに共鳴している。

《参照/引用文献》
『クリント・イーストウッド――ハリウッド最後の伝説』マーク・エリオット●
笹森みわこ・早川麻百合訳(早川書房、2010年)

(upload:2014/10/03)
 
 
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