クリント・イーストウッドは10代の頃から、ふところに余裕があれば、ディジー・ガレスピーやコールマン・ホーキンス、レスター・ヤングー、チャーリー・パーカーらの演奏を聴きに行くほどのジャズ・ファンだった。その影響は彼の映画にも様々なかたちで表れている。
たとえば、イーストウッドの記念すべき初監督作品『恐怖のメロディ』(71)の原題は“Play Misty for Me”で、エロール・ガーナーの<ミスティ>が印象的な使われ方をされている。さらに映画の後半には、DJ役のイーストウッドがモンタレー・ジャズ・フェスティバルを取材する場面があり、ステージや会場の雰囲気がしっかりととらえられている。ステージの幕が開くと、キャノンボール・アダレイ・グループが演奏を始める。ヨーロッパからやって来て活動を開始し、後にウェザー・リポートを結成するジョー・ザヴィヌルの若き日の姿も見られる。
それから、『ガントレット』(77)の音楽では、ジョン・ファディスとアート・ペッパーというふたりのジャズメンのソロが大きくフィーチャーされていた。イーストウッドは、ニューポート・ジャズ・フェスティバルでたまたまファディスのステージに接し、そのプレイに惚れ込み、この映画の音楽のために口説き落としたのだという。他にも、『ダーティ・ハリー3』(76)のビッグバンド・サウンドや『タイトロープ』(84)のミシシッピーの遊覧船やカーニバルを彩るニューオーリンズ・ジャズなども思い出される。だが、そもそもイーストウッドが起用する作曲家は、ラロ・シフリンにしても、ジェリー・フィールディングにしても、レニー・ニーハウスにしても出発点はジャズなのだから、印象に残るのも当然といえば当然なのだ。
そして、イーストウッドが出会ったジャズマンのなかで、最も強く惹きつけられたのが、モダン・ジャズの先駆者であるチャーリー・“バード”・パーカーだった。マーク・エリオットの評伝『クリント・イーストウッド――ハリウッド最後の伝説』には、以下のような記述がある。
「音楽の感情を揺さぶる力の大きさに目を開かせてくれたのは、誰よりもパーカーだった。クリントはのちにリチャード・シッケルにこう語っている。『あれほど自信たっぷりに演奏するミュージシャンは見たことがなかった。当時、まだジャズはショービジネスとして盛んではなかったが、パーカーが立って演奏しているだけで、なんて表現豊かな音楽だ、と思ったものだ』パーカーの冷たく孤高なサウンドはクリントを魅了してやまなかった」
イーストウッドのパーカーの生涯を描く『バード』は、そんな「冷たく孤高なサウンド」の秘密に迫る作品といってもいいだろう。この映画では、フラッシュバックが多用され、若き日のカッティング・コンテストへの挑戦、ジャズ・クラブが乱立する52丁目の喧騒、チャン・パーカーとの愛と彼女の献身、西海岸への新天地開拓、愛児の死といった多様なエピソードが盛り込まれていく。
そのなかでも筆者がここで特に注目したいのが、バードとユダヤ人トランペッター、レッド・ロドニー(バードのグループの後期に実際に在籍した)の間に浮かび上がるコントラストだ。イーストウッドの作品には、バディ・ムービーの設定を取り込んで、自己と他者の関係を浮き彫りにする傾向があるが、この映画も例外ではない。ふたりの関係は、深南部への楽旅で最高潮に達するが、まずはその伏線となるエピソードを確認しておこう。
ロドニーは、金に困っているバードのバンドにおいしい話を持ってくる。彼の同胞であるユダヤ人たちの結婚式で演奏するという仕事だ。この結婚パーティの場面では、華やかな雰囲気の中で演奏するモダン・ジャズの先駆者バードの孤独が淡々と映しだされる。 |