筆者が特に興味を覚えたのは、アザナヴィシウスが94年にルワンダで起こったジェノサイドに関するTVドキュメンタリーの共同脚本を手がけていたことだ。それは彼が、フランスとルワンダの密接な関係についてもよく知っていることを意味する。そのドキュメンタリーには、当時PKO部隊の司令官としてルワンダに派遣され、限られた部隊と装備でジェノサイドに対処しようとしたカナダ人ロメオ・ダレールも登場するので、彼の著書『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか――PKO司令官の手記』から、ヒントになる記述を引用しておきたい。
「フランスは七〇年代半ばからずっとハビャリマナ体制と関係があった。その間、フランス政府はフランス語系ルワンダにかなりの投資をし、武器と軍事専門家を提供した。この支援は、一九九〇年一〇月と一九九三年二月のRPF反政府軍に対抗するための徹底的な介入にエスカレートした。しかしRPFは不屈の粘り強い敵であることが明らかになった。そしてフランス人はとうとう国連と一体となって一連の停戦と、最終的にはアルーシャ協定になる外交努力をおこなったのである」
「フランスは国連安全保障理事会において、ルワンダに明確な関心を示している唯一の理事国でもある」
そんなふうにルワンダに太いパイプを持っていたフランスは、ジェノサイドが計画されていることを知りながら、それを止めようとはしなかった。フランスに生まれ、TVの監督としてキャリアをスタートさせたアザナヴィシウスにとってそれは重い事実だったのではないかと思われる。
チェチェンを題材にした作品に対して、なぜこのようなことを長々と書くのかといえば、やはりテーマをチェチェンに限定して観るべき作品ではないように思えるからだ。もちろんこの映画を観ながら、筆者は、チェチェンを取材し、後に暗殺されたロシア人女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤのノンフィクションの断片が頭をよぎったりもした。この映画に、そういうリアルな世界があることは間違いない。
だが一方で、その他の世界の現実にも繋がるものを感じる。フランス人のキャロルは、虐殺や略奪を止めるためにEU議会で実情を報告する機会を得るが、世界の反応は冷たい。先述したロメオ・ダレールは、ジェノサイドを止めるために国連や大国を動かそうとしたが、世界はそれを黙殺した。しかも『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか』の物語は、ジェノサイドで修羅場と化した世界で、母親の遺体から離れようとしない少年に出会ったダレールが、彼を養子にすることを考えるエピソードから始まる。
さらにこの映画は、実話に基づくマイケル・ウィンターボトム監督の『ウェルカム・サラエボ』(97)のことも思い出させる。この映画では、主人公のイギリス人ジャーナリストが、戦火のサラエボの現実を、TVを通して世界に訴えようとするが、自分の無力さを思い知らされる。そんな彼はある一線を超え、報道することよりもひとりの子供の命を救うことを選ぶ。そして、この映画のキャロルも同じように一線を超えようとする。 |