あの日の声を探して
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(2014) on IMDb


2014年/フランス=グルジア/カラー/135分/ヴィスタ/5.1ch
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(初出:)

 

 

チェチェンに限定されない視野の広がり

 

[ストーリー] 1999年、チェチェンに暮らす9歳のハジは、両親を銃殺されたショックで声を失ってしまう。姉も殺されたと思い、まだ赤ん坊の弟を見知らぬ人の家の前に捨て、一人放浪するハジ。彼のような子供さえもロシア軍は容赦なく攻撃していた。だが、そんなロシア兵たちも初めは普通の青年だった。音楽と自由を謳歌していたコーリャも、異常な訓練で人の心を失っていく。

 戦火を逃れ街へたどり着いたハジは、EUに勤めるフランス人のキャロルに拾われる。自分の手では何も変えられないと知ったキャロルは、せめて目の前の小さな命を守りたいと願い始める。ハジは声を取り戻し、生き別れた姉弟と再び会うことができるのか――?[プレスより]

 モノクロ・サイレントの『アーティスト』(11)で大きな成功を収めたミシェル・アザナヴィシウス監督の新作『あの日の声を探して』(14)が、これほど政治的で重量感のある作品になるというのは意外だったが、彼はだいぶ前から構想を温めていたらしい。プレスのプロダクション・ノートに、個人的に非常に興味をそそられる記述があった。

「チェチェンを選んだのには、『いくつかの要因があった』とアザナヴィシウスは説明する。2004年に共同脚本を手掛けたTVドキュメンタリー『RWANDA : HISTORY OF A GENOCIDE』の共同監督に、チェチェンの現状に警鐘を鳴らした著名なユダヤ系の哲学者アンドレ・グリュックスマンの息子がいて、彼との交流の中でチェチェンの状況を知る。アザナヴィシウスは『これらの経験は、アシュケナジム(ドイツや東欧諸国に定住したユダヤ人)であり、第二次世界大戦を生きた世代の孫である私に、間接的に歴史に立ち戻る機会を与えた』と語る」

 ユダヤ系のアザナヴィシウスが間接的に歴史に立ち戻ることと、彼がこの映画を作る上で、原案としてフレッド・ジンネマン監督の『山河遥かなり』(49)を選んだことはもちろん無関係ではない。『山河遥かなり』では、第二次大戦直後のドイツで、母親と生き別れになり、恐怖で自分の声を失い、収容所から解放されたユダヤ人の少年がアメリカ兵に助けられる。『あの日の声を探して』では、両親を殺されたハジがEU人権委員会に勤めるフランス人キャロルに救われるが、2作品を単純に比較することはできない。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/編集/製作   ミシェル・アザナヴィシウス
Michel Hazanavicius
撮影 ギョーム・シフマン
Guillaume Schiffman
編集 アン=ソフィー・ビオン
Anne-Sophie Bion
音楽 ジャン・ミノンド
Jean Minondo
 
◆キャスト◆
 
キャロル   ベレニス・ベジョ
Berenice Bejo
ヘレン アネット・ベニング
Annette Bening
コーリャ マキシム・エメリヤノフ
Maksim Emelyanov
ハジ アブドゥル・カリム・ママツイエフ
Abdul Khalim Mamutsiev
ライッサ ズクラ・ドゥイシュビリ
Zukhra Duishvili
エリナ レラ・バガカシュヴィリ
Lela Bagakashvili
大佐 アントン・ドルゴフ
Anton Dolgov
-
(配給:ギャガ)
 

 筆者が特に興味を覚えたのは、アザナヴィシウスが94年にルワンダで起こったジェノサイドに関するTVドキュメンタリーの共同脚本を手がけていたことだ。それは彼が、フランスとルワンダの密接な関係についてもよく知っていることを意味する。そのドキュメンタリーには、当時PKO部隊の司令官としてルワンダに派遣され、限られた部隊と装備でジェノサイドに対処しようとしたカナダ人ロメオ・ダレールも登場するので、彼の著書『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか――PKO司令官の手記』から、ヒントになる記述を引用しておきたい。

「フランスは七〇年代半ばからずっとハビャリマナ体制と関係があった。その間、フランス政府はフランス語系ルワンダにかなりの投資をし、武器と軍事専門家を提供した。この支援は、一九九〇年一〇月と一九九三年二月のRPF反政府軍に対抗するための徹底的な介入にエスカレートした。しかしRPFは不屈の粘り強い敵であることが明らかになった。そしてフランス人はとうとう国連と一体となって一連の停戦と、最終的にはアルーシャ協定になる外交努力をおこなったのである」

「フランスは国連安全保障理事会において、ルワンダに明確な関心を示している唯一の理事国でもある」

 そんなふうにルワンダに太いパイプを持っていたフランスは、ジェノサイドが計画されていることを知りながら、それを止めようとはしなかった。フランスに生まれ、TVの監督としてキャリアをスタートさせたアザナヴィシウスにとってそれは重い事実だったのではないかと思われる。

 チェチェンを題材にした作品に対して、なぜこのようなことを長々と書くのかといえば、やはりテーマをチェチェンに限定して観るべき作品ではないように思えるからだ。もちろんこの映画を観ながら、筆者は、チェチェンを取材し、後に暗殺されたロシア人女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤのノンフィクションの断片が頭をよぎったりもした。この映画に、そういうリアルな世界があることは間違いない。

 だが一方で、その他の世界の現実にも繋がるものを感じる。フランス人のキャロルは、虐殺や略奪を止めるためにEU議会で実情を報告する機会を得るが、世界の反応は冷たい。先述したロメオ・ダレールは、ジェノサイドを止めるために国連や大国を動かそうとしたが、世界はそれを黙殺した。しかも『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか』の物語は、ジェノサイドで修羅場と化した世界で、母親の遺体から離れようとしない少年に出会ったダレールが、彼を養子にすることを考えるエピソードから始まる。

 さらにこの映画は、実話に基づくマイケル・ウィンターボトム監督の『ウェルカム・サラエボ』(97)のことも思い出させる。この映画では、主人公のイギリス人ジャーナリストが、戦火のサラエボの現実を、TVを通して世界に訴えようとするが、自分の無力さを思い知らされる。そんな彼はある一線を超え、報道することよりもひとりの子供の命を救うことを選ぶ。そして、この映画のキャロルも同じように一線を超えようとする。


(upload:2015/04/19)
 
 
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