トム・ウェイツ
Tom Waits


 
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(初出:「CDジャーナル」)

 

 

酔いどれ詩人の遺伝子とリアルな仮面

 

 “酔いどれ詩人”という表現は、トム・ウェイツの代名詞といっても過言ではない。そんな彼の魅力を探ろうとすれば、『土曜の夜』や『スモール・チェンジ』、『異国の出来事』といったアサイラム時代の代表作を取り上げるのが常道になるだろう。しかしここでは、異なる角度から酔いどれ詩人の存在を掘り下げてみたい。

 かつてウェイツは、皿洗いやバーテンダー、ドアマンなど様々な仕事につき、あちこちで飲んだくれ、モーテルをねぐらにし、底辺に生きる人々を見つめてきた。それは貴重な財産だが、自分の体験だけで唯一無二の酔いどれ詩人になったわけではない。

 パトリック・ハンフリーズのウェイツ伝には、こんな記述がある。「ロード・バックレーから声を、レニー・ブルースからスタイルを、ジャック・ケルアックから精神をもらった男、その男をピアノの前に座らせた時……そこに生まれるのはまさに我々がよく知っているあのトム・ウェイツの姿ではないだろうか


 

 ウェイツがもらい受けたのは、おそらくそれだけではないだろう。彼にインスピレーションをもたらした人々の創作と人生は、チャールズ・ブコウスキーやフランク・シナトラなども含めて、酒と深く結びついている。ウェイツは明らかに酔いどれの遺伝子も引き継いでいる。だが、決定的に違うところがある。

 それは、作品のなかに生み出した仮面と自己との距離だ。ケルアックは、そのふたつに引き裂かれ、アル中に苦しみ、吐血してこの世を去った。コメディアンのロード・バックレーとレニー・ブルースは、仮面が人生になり、酒とドラッグと権力の圧力で消耗し、非業の死を遂げた。これに対して、ウェイツはそこに一線を引く道を切り開いた。だから、酔いどれの人生に憑依し、リアルな仮面を作り上げ、世界を広げていくことができる。

 たとえば、レッドベリーに対するウェイツの視点には、それがよく表れているように思える。『オーファンズ』には、ウェイツが、レッドベリーの<ファニン・ストリート>にオマージュを捧げて作ったもうひとつの<ファニン・ストリート>が収められている。

 彼は「guardian.co.uk」のインタビューでこの曲について尋ねられ、面白いことを語っている。レッドベリーが死んだのは、ウェイツが生まれた翌日の1949年12月8日で、自分が彼と繋がっているように感じるというのだ。この発言は、ふたつの曲を踏まえると、得意の与太話とも思えなくなる。

 十代のレッドベリーは、ルイジアナ州シュリーヴポートにあるファニン・ストリートで人生を学んだ。そこは、娼館や酒場、ダンスホールが集まる地域で、まさに女と酒と音楽の世界だった。レッドベリーの<ファニン・ストリート>は、当時の体験を物語る自伝的作品で、ウェイツの<ファニン・ストリート>は、そんな世界と人生がはっきりと見えてくることで深みを持つ曲になっている。

《参照/引用文献》
『トム・ウェイツ 酔いどれ天使の唄』 パトリック・ハンフリーズ●
室矢憲治訳(大栄出版、1992年)

(upload:2013/02/08)
 
《関連リンク》
トム・ウェイツ 『オーファンズ』 レビュー ■
ベント・ハーメル 『酔いどれ詩人になるまえに』 レビュー ■
チャールズ・ブコウスキー――糞まみれのゲルマン魂 ■
ロバート・アルトマン 『ショート・カッツ』 レビュー ■
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