暗闇のなかで / レイチェル・シーファー
The Dark Room / Rachel Seiffert (2001)


2003年/高瀬素子訳/アーティストハウス
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(初出:)

 

 

戦中、戦後、そして現在。写真を鍵として
ナチスの時代を浮き彫りにする三つの物語

 

 レイチェル・シーファーは、オーストラリア人の父とドイツ人の母のあいだに生まれ、オックスフォードとグラスゴーで育ちました。2001年のブッカー賞最終候補作となったこの長編デビュー作『暗闇のなかで』は、「ヘルムート」「ローレ」「ミヒャ」という三つの物語から成り、戦中、戦後、そして現在という異なる時代背景からナチスの時代が浮き彫りにされていきます。

 背景は異なりますが、三つの物語には注目すべき共通点があります。まず、それぞれのタイトルにもなっている主人公の立場の変化です。

 「ヘルムート」の始まりは、1921年のベルリン。ヘルムートは右腕に障害を持って生まれますが、子どもの頃は理解のある親にも守られ、あまりそれを意識することがありません。しかし、学校に通うようになり、徹底的な身体検査が行われると、事情が一変します。そして、兵役に就けないことがわかり、疎外されていきます。

 「ローレ」の始まりは、1945年初頭、ドイツ南部のバヴァリア。ナチス親衛隊の高官の娘である12歳のローレは何不自由のない生活を送っていましたが、敗戦によってそれが一変します。父と母を連合軍に拘束された彼女は、妹のリーゼ、双子の弟ユリとヨッヘン、乳飲み子のペーターを連れて、祖母が暮らすドイツ北部のハンブルクまで、占領下のドイツを縦断する過酷な旅に出ることになります。そして、その旅のなかでナチスの子ゆえに疎外されることになります。

 「ミヒャ」の始まりは、1997年秋。教師のミヒャエルは、定期的に祖母のケーテを見舞ううちに自分の家系図に関心を持つようになり、今は亡き祖父アルカンがナチスの武装SSだったことを知ります。そんな彼は、祖父がソ連軍に捕らえられるまで戦地でなにをしていたのかを確かめずにはいられなくなり、駐屯地だったベラルーシに旅立ち、祖父の足跡をたどることになります。

 つまり、どの物語でも、ある出来事によってそれまで普通だと思っていた自分の生活が一変し、主人公は自分と向き合うことになります。そんな物語のなかで際立つのが“写真”と“他者”です。

 「ヘルムート」では、ヘルムートは、駅前の写真店で、店主フラディガウの仕事を手伝うようになっています。彼は疎外されるほどに写真にのめり込んでいき、ベルリンの駅や街を行き交う人々を撮るようになります。そんな展開のなかで印象に残るのが、ロマ(ジプシー)の人々が連行されるのを目の当たりにする場面です。トニー・ガトリフ監督の作品でしばしば描かれるように、ロマもナチスによって激しい弾圧を受けました。


 
◆目次◆
 
ヘルムート
ローレ
ミヒャ
 
訳者あとがき
 
 

 「ローレ」では、過酷な旅をつづけるローレが、街頭に貼られたナチスによるユダヤ人虐殺の写真を目の当たりにします。さらに、旅の途上で窮地に陥ったローレたちは、トーマスという青年に助けられますが、ローレは彼がユダヤ人の身分証を持っていることに気づき、他者を通して自分を見つめることになります。

 「ミヒャ」では、ミヒャエルが祖母のアルバムから祖父の写真を密かに抜き取り、ベラルーシの旅に携帯し、それが最後に決め手ともなります。この物語で見逃せないのは、ミヒャエルの恋人ミナがトルコ系移民の二世だということです。ドイツは戦後の経済発展のなかで、労働者不足を補うために大量のトルコ系労働者を受け入れました。その後の現実は、ファティ・アキン監督やヤセミン・サムデレリ監督の作品に反映されています。ミヒャエルが祖父の過去にこだわるのは、そうした他者の存在があるからでもあります。

 著者シーファーは、写真のイメージや他者の存在を盛り込んだ緻密な構成と繊細な表現によって、それぞれの登場人物の複雑に揺れ動く内面を実に鮮やかに描き出しています。

※三つの物語のひとつ、「ローレ」が、オーストラリアの女性監督ケイト・ショートランドによって映画化されました。邦題は『さよなら、アドルフ』(12)、2014年1月11日よりシネスイッチ銀座ほかにてロードショー。筆者は「キネマ旬報」2014年1月下旬号に本作品の映画評を書いていますので、ぜひお読みください。ちなみに、ショートランドが最初に映画化を切望したのは、最後の物語の「ミヒャ」でしたが、プロデューサーの説得などもあり、最終的に本人も納得したうえで「ローレ」の映画化になりました。


(upload:2014/01/19)
 
 
《関連リンク》
ケイト・ショートランド 『さよなら、アドルフ』 レビュー ■

 
 
 
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